2010年12月6日月曜日

「母子家庭で育った」と言うと、離婚と決め付けられることが

「私は母子家庭で育ちました」と話すと、両親が離婚したものと決め付けられることがある。

私の母も、会社で「うちは母子家庭で、息子がいる」と伝えていた。ある日、自分の夫はとうに亡くなっていないという話を同僚にしたところ、たいそう驚かれて、「富重さんって、母子家庭って言うから、旦那さんと離婚したものと思っていた。死別だとは思わなかった」と言われたそうだ。このため、母は私に「お前は母子家庭で育ったことを人に話す場合、必ず死別だということを言い添えなさい。離婚だと間違って解釈されるから」という指導を受けた。

こう誤解されることについては、それほど問題とは思っていない。ただ、なぜ母子家庭というと、すぐ離婚と思い込まれてしまうのか、そこが気になる。もしかすると母子家庭の大半は離婚によるもので、死別は珍しいのだろうか。それとも、人の思い込みというのはそれほど強いということなのだろうか。

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思い込みというと、子供の頃に感じたことだが、全ての子供には必ず両親がいるものと前提して話す大人が少なからずいた。学校によっては、作文で両親について書かせるところもあるらしい。しかし、さすがに、これは仕方がないとは思った。多くの人にとっては、片親や親がいない子がいるなど、想像しにくいだろう。

私の大学時代のゼミの指導教官は、「両親」という言葉を使わないことにしていた。かつて、ゼミ生に母子家庭の学生がいたからだという。配慮の行き届いた先生だが、なにもそこまでという思いもないではない。

2010年11月16日火曜日

星野哲郎

星野哲郎が亡くなったとニュースで知った。とても悲しい。私が最も好きな作詞家の一人だった。演歌ファンをやっていると、訃報に接することが本当に多い。

一部メディアは、星野哲郎を「昭和の日本を彩った」という演歌作家にお馴染みの枕詞で伝えているが、この人はもちろん平成に入ってからもいい詞をたくさん書いていた。私が演歌ファンになったのも、平成期に星野哲郎が書いた新曲に出会ったことが大きい。

メディアが紹介している代表曲は『黄色いさくらんぼ』(スリー・キャッツ)『アンコ椿は恋の花』(都はるみ)『函館の女』(北島三郎)などだが、私などは『出世坂』(島津亜矢)や『寿宝船』(山口瑠美)などが個人的なお気に入りだった。あの世界観、詞中の人物が実に生き生きとしていた。

星野哲郎と言えば、『出世街道』(畠山みどり)や『いっぽんどっこの唄』『三百六十五歩のマーチ』(水前寺清子)のように、イケイケどんどんの詞が多いのかなと勝手に思っていた時期があるのだが、そんな時に、あの映画『男はつらいよ』の主題歌を書いていたのもこの人だったと知った時は驚き、さすがに人生への洞察力が鋭いと感服した。あの、努力が報われない男の悲哀を書いた1番のサビの部分、しかもあそこが、あの詞の中で星野哲郎自身が最も気に入っている部分なのだそうだ。

あれだけのヒット曲をたくさん書き、多くの歌手を世に送り出した人なのだから、今回の訃報はもっと大きく取り上げられてもよさそうに思えるのだが、残念だ。もっとも、あまり騒がれたくはないという思いもあるが。

演歌の大作家が次々と他界していく。せめて船村徹には長生きしてほしいな。

2010年11月15日月曜日

姿勢について

私は昔から(座るときの)姿勢がいいと言われる。たしかに私は、座っている最中、意識的に姿勢を正すことにしているので、これを褒められると悪い気はしない。

私が姿勢にこだわるのは健康上の理由でというよりはむしろ、単に悪い姿勢をするのが好きではないからだ。姿勢が悪いと、見栄えも悪い。貧相に見えたり、自信がなさそうに見えたりする。もちろん、世の中には様々な事情で姿勢が悪い人もいるのだろうが。

私はインターネットをよくするのだが、メールやブログのコメント欄などを通じていただいたメッセージにお返事を書く際は、よほどインフォーマルなやり取りの場合を別とすれば、特に意識して姿勢を正すようにしている。お互い顔が見えないとはいえ、文書を通じて相手と会話をすると考えると、姿勢を正さずにはいられないのだ。よく、改まった電話をしている最中、相手の顔が見えないにもかかわらずお辞儀をする人がいるが、それと似たようなものだ。もちろん、インターネットに限らず、正式な文書を書く際も、姿勢を正すようにしている。

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最近は、歩行中にも姿勢を意識するようになってきた。背筋をピンと伸ばすことから始まって、それが高じ、手の振り方や脚の動かし方、歩幅なども気をつけるようになってきた。堂々と、颯爽とした歩き方をする方が見栄えがいいのはもちろんのこと、自分自身の心のありようにも影響があるように思われるからだ。といっても確証はないが。もっとも、歩き方に気を遣う人は、男性よりもむしろ女性に多そうだ。

街中で人の歩き方をよく観察していると、人によってかなり違うことが分かる。歩き方も、その人の一つの個性なのだろう。

2010年10月30日土曜日

母校の歴史を読む

地元の図書館で、母校(高校)の歴史をまとめた本を読んだ。

学校を経営する側の立場から書かれた本とあって、外部からは分からない私立高校ならではの学校経営の苦労が窺われ、興味深かった。特に開校時の苦労は、並々ならぬものがあったようだ。

私立高校にとっては、生徒が集まるかどうかは公立高校以上に大きな問題ではないかと思う。実際、経営難で廃校になった私立高校も近隣にある。政府の政策により公立高校の授業が実質無償化されることになり、私立高校の経営者の間には生徒が公立高校に流れてしまうのではと懸念する声が以前あったと聞くが、無償化後、どうなったのだろう。

あと、私の目を引いたのは、30~40年ほど前の就職難の時代の就職実績だ(オイルショックの時代だろうか、このあたり本にどう記載されていたか覚えていない)。当時、就職も進学もせず卒業した生徒がこの高校でも相当の割合に上ったそうだ。最近でも、就職先が決まらずに卒業する高校生が話題になったが、同じようなことは昔にもあったようだ。昔は大学進学率が低く、また、専門学校は存在すらしていなかったため、高卒で就職する者は少なくなかったろうが、社会的な問題にはならなかったのだろうか。

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最近、急に冷えてきた。ついこの間まで猛暑だとか残暑がひどいとか言っていたのに、どうなっているのだろう。27日には、全国的にも、最低気温が10度を下回る都市が目立った。寒いからというので、親の命で灯油を買いに行った。そう、ストーブのためだ。このように気温が急に変化する時期は、体調管理に気をつけたい。

2010年10月16日土曜日

ジョークに対する反応にも、お国柄?

■ タイタニック号のジョーク

タイタニック号のジョークは、よく知られている。

船が沈みそうになった時に、女性や子どもを優先して救命ボートに乗ってもらうため、船長としては男性乗客には海に飛び込んでもらいたい。そこで、どう説得したか?

アメリカ人には、「あなたはヒーローになりたくないのか。ここで飛び込めばあなたはヒーローになれる」

イギリス人には、「あなたはジェントルマンだろう。女性や子どもに譲るべきだ」

ドイツ人には、「これは規則だ」

そして日本人には……「みんなそうしているから、あなたもそうしなさい」

ちなみに、タイタニック号に乗っていた日本人は1人だけだったそうだ。鉄道省(当時)の細野正文参事官で、船から脱出して生存している。

■ ジョークに対する反応にも、お国柄?

最近、昔のNHKラジオ「やさしいビジネス英語」か「ビジネス英会話」かの録音テープを聴く機会があった。桜美林大学の馬越恵美子教授が担当されていた土曜サロンの録音分だ。

その中で、ジョークに対する、それぞれの国の人たちの反応というジョークがあった。つまり、ジョークを言った場合、相手はそれにどう反応するか?これもある程度有名な小噺かもしれない。

アメリカ人は笑わない。ほとんどのジョークを知っていて、面白くないから。

フランス人は、半分聞いただけで笑う。オチが分かってしまうから。

ドイツ人は、翌日になって笑う。一晩中なぜ面白いのか理詰めで考えるから。

そして日本人は……にこにこするだけ。冗談は分からないが、お付き合いで笑うから。

■ 和をもって

どちらのジョークも、周囲との同調を重んじる日本人の国民性が笑いの種になっている。いったいどこの国の誰が言い出したジョークだろうか。日本人が考え出した自虐ジョークの臭いがするが。

2010年10月14日木曜日

犬に襲われそうになった

この前、公園を1人で歩いていたら、突然犬がほえながら私を追いかけてきた。飼い主がいる犬だったかどうかは分からない。私は広い公園を懸命に逃げたが、犬はどこまでも追いかけてくる。私は犬に追われながらもなんとか走って公園を脱出。ここまで来たらさすがにもう追ってこないだろうと安心したところ、なんと犬は公園を出てまで、私を追いかけてきた。これにはさすがに恐怖を感じた。結局、100メートルは走っただろうか、犬から逃れることができた。幸い、私に怪我はなかった。

なぜ犬が私を追いかけてきたのか、私にはさっぱり分からない。身の危険を感じた私は犬に反撃しようかとも思ったが、誰か飼い主がいたかもしれなかったため、うかつに手を出せず、逃げるしかなかった。ああいう場面で自分の身を守るために犬を攻撃したら、動物虐待の罪に問われるのだろうか。

それにしても、相手が犬でよかった。あれが熊や猪だったらと思うと、ぞっとする。最近はどこにどんな動物が現れるか分からない世の中だ。なにはともあれ、あの公園には近寄らないようにしよう。

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最近、夜7時代は、NHK WORLD のニュース番組(NEWSLINE)を見ることが多くなった。番組内に South East Asian Bulletin というコーナーがあり、東南アジアの状況を詳しく報じているのが番組の一つの特徴だ。日本企業が次々にアジアに進出する中、よい勉強になっている。

NHK Bangkok のリポーター Patchari Raksawong さんの最初と最後の挨拶(合掌とお辞儀)が異国情緒を感じさせ、なおかつ上品でよい。あの挨拶が、「ワイ」なのだろうか。タイでは、ドナルドも合掌をしている。

Wikipedia・ワイの項目新しいウィンドウで開く

2010年9月29日水曜日

ショウペンハウエル「読書について」

読書について 他二篇 (岩波文庫)日本経済新聞で話題になっていたので、岩波文庫から出ているショウペンハウエルの「読書について」を読んでみた。

短い内容で、岩波文庫版では21ページしかない(関連する、同時収録の「思索」「著作と文体」を合わせても140ページほど)。しかし、現代の日本でも愛読されている。

この著作の中で、ショウペンハウエルは、ずいぶんはっきりした物言いをしている。しかし、これが本書の魅力の一つなのかもしれない。

これを読むと、大半のブログは、読む気が失せてくる。そして、古典を求めて、岩波文庫を買い続けたくなってくる(ただし、ショウペンハウエルが批判する多読を避けるために、極端に買い続けることはしない)。また、同時収録の「著作と文体」を併せ読むと、出来の悪い個人ブログなど書く気が失せてくる。もしショウペンハウエルが現代日本のブロゴスフィア(ブログ圏)を見たら、何と言うだろうか。

哲学の素養がなくても、読むことが可能な内容だ。さほど難解な内容ではないが、「著作と文体」の中には、ドイツ語の知識がなければ分からない箇所が一部にある。私はこれに続けて、『知性について』を読み始めた。

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この夏は猛暑と言われてきたが、さすがにこの頃は涼しくなってきた。寒く感じることすらある。もう熱中症の心配は、ほとんどあるまい。外出の際に水分を携帯することもなくなった。

ただ、気温の変化が少々急だ。こういう季節の変わり目は、体調管理に気をつけなければならない。これまでのように極端な薄着を続けていると、風邪でもひいてしまいそうだ。

2010年9月16日木曜日

NHK WORLD

厳しい残暑が続いてきたが、ようやく涼しくなってきた。私は多少の暑さは平気なのだが、周りに暑さで弱っている人がいると、辛い。

だが、暑さ対策はまだ続ける必要がある。特に外出をするとまだまだ大量に汗をかくので、水分補給はしっかりしなければならない。

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最近、英語の勉強のために、NHK WORLD の番組を見るようになった。一部の番組をインターネットで無料で視聴ができる。私には以前も、NHK WORLD のテレビ番組を見たり、ラジオで英語ニュースを聴いたりした時期があったのだが、今回はもう少しじっくり見ている。むかし NHK の国際関係の番組で見た Yuko Fukushima(福島優子)さんや、Tomoko Kimura(木村倫子)さんといった懐かしい顔を、今なお見ることができて嬉しい。

主に日本のことを英語で発信している番組が多く、背景知識がある私には聞き取りやすい英語だ。NHK WORLD では日本人が英語を話しているシーンをよく見かけるので、これを見ると、日本人の多くは英語がペラペラだという錯覚に陥る。

番組はNHKとあってニュースが多い。日本時間19:00から30分間放送している NEWSLINE は、日本のNHK総合「ニュース7」よりも個人的には面白い。NEWSLINE の天気予報を見ていると、世界には猛暑と言われる日本よりもさらに暑い国があったり、一方で涼しい(うらやましい)国があったりと、世界の気候は様々であると改めて感じる。

インターネット版では、全ての NHK WORLD の番組を見ることができるわけではないようだ。例えば、NHK WORLD は「クローズアップ現代」を "Today's Close-up" というタイトルで放送しているが、これは見ることができない。

2010年9月11日土曜日

国会、地方議会の会議録

国会や地方議会のウェブサイトには会議録が公開されている。議会の様子をインターネット中継しているところもある。私はこれを利用し、インターネットでときどき議事録を検索している。

会議録を検索する目的は、ブログのネタ探しや、自分自身の情報収集だ。自分が関心を持っている事柄が、国政や地元の議会の場でどう議論されているか、さらには比較のために他の自治体の議会ではどうか、そういったことを調べるのだ。

最近目を引いたものでは、大阪府豊中市議会平成4年3月定例会の議事録が挙げられる。1991年(平成3年に)豊中市の中学校で起きたいじめ暴行事件の被害者が軽い障害を持っていたそうだが、その障害の内容が市議会で言及されていた。障害の内容は私とは無関係ではないもので、これを読んだときは大変ショックだった。

インターネットが普及する以前は、おそらくメディアや地元の広報誌が、議会の様子を知る主な手段だったのだろう。ただ、こうしたものは議会の主要部分をまとめているにすぎないので、より深く知りたい人は地域の図書館で会議録にあたったり、直接傍聴に行ったりしたのだろう。

インターネットの便利なところの一つは、このように大量の情報を簡単に検索できることだ。過去何十年にもわたる衆参両議院の会議録を簡単に検索できる。中には横断検索といって、様々な地方議会の会議録を一括して検索できるサービスもある。

[関連リンク]

◇ 国会会議録検索システム新しいウィンドウで開く

2010年9月2日木曜日

英字新聞を読んで知った日本のサブカルチャー

私は子どもの頃こそ漫画やテレビゲームが好きだったが、今やサブカルチャーにはほとんど興味を持っていない(ただし、大衆歌謡、特に演歌・歌謡曲は例外)。

ただ、海外の英字新聞で日本のサブカルチャーが紹介されると、つい読んでしまう。サブカルチャー自体に関心があるというよりはむしろ、日本の文化が海外でどう紹介されているかが興味深く思えるからだろう。

昨夜、アメリカの経済紙 Wall Street Journal アジア版のウェブサイトを開いたら、トップページに、"Only in Japan, Real Men Go to a Hotel With Virtual Girlfriends" という見出しと、ゲームの美少女キャラ画像が大きく出ていて、びっくりして読んでしまった。日本の恋愛シミュレーションゲーム『ラブプラス+』や、それに夢中になる日本の若い男性、そしてゲーム製造会社とタイアップした熱海が取り上げられていた。なお、WSJ はこのニュースを動画でも配信したほか、ブログ "Japan Real Time" にも掲載、さらには紙面版でも大きく取り上げるなど、かなり大きく扱っている。

何年か前にも、たしかアメリカの新聞を読んで、日本のサブカルチャーを知った経験がある。yaoi という言葉が出てきて、若い男同士の恋愛模様(肉体関係含む)を描いた漫画が日本の一部の若い女性(女の子?)の間で流行っているという内容だった。私はこれを最初読んだ時は信じられなくて、自分の英語読解力がまだ不十分だから読み間違えたのではないかと思ったものだ。

英字新聞を読まなければ、こうしたことを知ることはなかっただろう。ただ、あまり日本のことが面白おかしく書かれ、海外に発信されてしまうようなことになったら、いい気分はしない。

2010年8月20日金曜日

自分の虚像、ありのままの自分

It is better to be hated for what one is than to be loved for what one is not.

Andre Gide


自分の虚像を愛されるよりは、ありのままの自分を嫌われた方がましとのこと。

ありのままの自分を出しなさいという趣旨の金言だろうが、人から誤解された場合には誤解を解くよう努力すべきだという意味にもとれる。このあたり、どういう背景でこの金言が出たのかにもよるのだが、一次情報を持たない私には分からない。

ところで私の場合、人から誤解を受けてしまい、自分の虚像を嫌われてしまうことがある。人間関係には誤解がつきもので、多少はやむをえないことなのかもしれない。

誤解を受けるのは、ネット上でも多い。私の文章力が至らないせいかもしれない。だが、相手が、私に対する先入観や思い込みばかり先走ってしまい、私のことを知ろうとしてくれない場合も少なくない。

こうした場合、いちいち誤解を正すのも何やら言い訳がましく思えるので、誤解を受けてもそのままにしておくことも多い。しかし、たとえそれが自分の虚像であっても、人から嫌われるというのはあまり気持ちのいいことではない。

自分の虚像を嫌われるよりは、ありのままの自分を嫌われた方がましだ。だが、敢えて誤解を解くようなことは必ずしもしない。

[関連する金言]

We should gain more by letting ourselves be seen such as we are, than by attempting to appear what we are not.

Francois de la Rochefoucauld


自分の虚像を見せようとするよりは、ありのままの自分を見せる方が、得るものは多いはずだ。

2010年8月10日火曜日

高齢に関する言い回し、新しい英語ブログ

■ 高齢に関する言い回し

還暦:61歳 古希:70歳 喜寿:77歳 傘寿:80歳 盤寿:81歳 米寿:88歳 卒寿:90歳 白寿:99歳 百寿:100歳 茶寿:108歳 皇寿:111歳 大還暦:120歳

※ いずれも、数えの年齢。

高齢の行方不明者問題が話題になっているので、気になって調べてみた。

(おまけ)

志学:15歳 而立:30歳 不惑:40歳 知命:50歳 耳順:60歳 従心:70歳

いずれも、『論語』の有名な一節「十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順がう。七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず」が由来。

■ 新しい英語ブログ

新しい姉妹ブログを開設したので、ご紹介する。英語で書いたブログだ。姉妹ブログは、これで11個目になる(うち英語ブログ3個)。とりあえずご紹介はするが、お恥ずかしい英語力で書いたブログなので、英語が得意な方はあまり見ないでほしい(これはまた勝手な)。

Personal Japanology
新しいウィンドウで開く

日本を紹介する記事をあれこれと書く予定。いかにも英語学習者が書きそうなブログだ。

英語ブログはこれまでも2個(+開店休業状態にある秘密のブログ1個)開設している。この2個のブログのテーマは、「場面緘黙症」と「ひきこもり」だ。毎日少しずつ書くようにしているが、こうしたテーマだけではネタがなかなか思いつかず、書くペースが追いつかない。また、英文ライティングの練習としても、限られたテーマのものばかり書いていては、表現の幅が狭くなってしまう。そこで、今回のブログを開設したわけだ。また、自分の国のことを英語で表現する術を見につけることも大事だろう。

2010年8月7日土曜日

行旅死亡人(こうりょしぼうにん)

所在不明高齢者に関するニュースを見ていたところ、「行旅死亡人」という耳慣れない言葉に接した。

■ 行旅死亡人とは

行旅死亡人とは、行旅病人及行旅死亡人取扱法によると、「行旅中死亡シ引取者ナキ者」を言うそうだ。「住所、居所若ハ氏名知レス且引取者ナキ死亡人ハ行旅死亡人ト看做ス」とのこと。また、これに準ずる者が政令により定められているそうだ。この具体的な政令は、ちょっと私には分からない。

要するに、行き倒れになって、死後には遺体の引き取り手がない死亡者のことだろう。

なお、Wikipedia は、行旅死亡人を次のように定義している。

Wikipedia行旅死亡人新しいウィンドウで開く

■ 自治体が管理

行旅死亡人は、自治体が埋葬または火葬するそうだ。行旅病人及行旅死亡人取扱法には、「行旅死亡人アルトキハ其ノ所在地市町村ハ其ノ状況相貌遺留物件其ノ他本人ノ認識ニ必要ナル事項ヲ記録シタル後其ノ死体ノ埋葬又ハ火葬ヲ為スベシ」の一節がある。そのほか、自治体は様々なことを行う。例えば広島市は、次のようなページを設けている。

行旅病人・行旅死亡人新しいウィンドウで開く

■ 2008年でおよそ1,000人

行旅死亡人は、ちょうど今年4月8日に開かれた衆議院青少年問題に関する特別委員会でも話題になった。NHKスペシャル「無縁社会 無縁死 三万二千人の衝撃」で取り上げられたらしく、2008年でおよそ1,000人の行旅死亡人が存在したという。1日平均3人の行旅死亡人が発見されている計算だ。

■ 官報に掲載

行旅死亡人は、官報で発表されている。インターネット版「官報」でも、もちろん発表がある。「号外」⇒「公告」⇒「地方公共団体」で、見ることができる。年齢、性別、ほか、どこでどういったかたちで発見されたかまで詳しく掲載されている。

インターネット版「官報」新しいウィンドウで開く

[訂正]

「公告」が「広告」になっていたので、訂正しました。失礼致しました。(2010年8月9日)

2010年8月6日金曜日

何でも我慢で通せばいいものではない

昔の私は、夏になっても、我慢で通すべきだと考える傾向が強かった。

たとえ暑くなっても冷房などに頼るな、下敷きをうちわ代わりになど使うな、日差しが強いからといって帽子なんかかぶるな、汗をかいてもそうそう簡単に水を飲むな、耐えよ!耐えよ!とにかく我慢するべき!と考えていたのだった。

他人に対して、こうした規範を強要していたのではない。自分に対して言い聞かせ続けていたのだ。

私の周辺に同じようなことを考えていた同世代の人は、あまりいない様子だった。なぜ私ばかりがこのように考えていたのかはよく分からない。

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だが、最近は考えが変わってきた。いま、熱中症で病院に搬送されたり、亡くなってしまったりする人があとを立たない。上のように我慢ばかりしていたら、いずれ大変なことになる(私も、あんなことをやって、よく熱中症にかからなかったものだ)。

というわけで、最近の私は外出するときは帽子をかぶり、こまめな水分補給を心掛けるようにしている。また、なんでも熱中症は室内にいるときにもなることが少なくないというので、室内でもやはりこまめな水分補給、換気、場合によっては冷房の力も借りるようにしている。

ただ、我慢の癖が完全に無くなったわけではない。今でも冷房はそう簡単にはつけないし、たとえつけても28度にとどめるようにしている(これは、光熱費節約の関係でもある)。また、「暑い」なんて言葉を簡単に口走らないようにしている。「暑い」「疲れた」こうした言葉は、私は簡単に口に出さない主義だ。せいぜい、社交上、「今日も暑いですねえ」と挨拶程度に言う程度だ。

2010年8月4日水曜日

NHK歌謡コンサート「夏だ!納涼歌まつり」

昨日の歌謡コンサートの感想。

■ 水前寺清子「三百六十五歩のマーチ」

この歌を作詞した星野哲郎は天才だといつも思う。意外に2番以降を聴いたことがなかった。「丸出だめ夫」の主題歌になったのはなぜだ。

■ 細川たかし「浪花節だよ人生は」

意外に久しぶりに聴いた。懐かしい。昔は競作じゃなかったっけ。

■ 森山愛子「お祭りマンボ」

森山愛子かわいい。歌声も好き。おまけに上手い。この人はバラエティ番組で見ても面白いのだが、最近出てるのかな。

■ 冠二郎「バイキング」

まさかここで「バイキング」が登場するとは。いつもの「炎」ではなく「バイキング」を選ぶセンスがよい。冠二郎のパフォーマンスも素晴らしい。最高。

■ 堀内孝雄「君のひとみは10000ボルト」

20世紀の。

■ 和田アキ子「古い日記」

この歌を聴くと、必ずと言っていいほどモノマネを思い出す。

■ 鹿内孝「本牧メルヘン」

時代の歌こころの歌。昭和47年のヒット曲。初めて聴いたが、いい歌だった。

■ 井上愛「答え」

綺麗な女性歌手が出てきたと思ったら、やっぱり演歌・歌謡曲の歌手ではなかった。この歌はNHKテレビ番組「クエスタ」のエンディングテーマ。堀内孝雄と同様、ギターを持っての歌唱。

■ 谷本知美「しぐれ橋」

おー、谷本知美頑張ってるなー。

■ 井上由美子「相馬に雨が…」

パーソナリティーを担当する「走れ!歌謡曲」のブログで、自身の身長の低さについて書いたエントリーを読んだことがあるが、今日テレビを見て、まさかここまで低いとは思わなかった。和田アキ子と並んだら、どういうことになるだろう。だが、歌声はしっかりしている。新曲、ちょっと変わった気を引くタイトルの歌だし、メロディーラインもドラマチックで、面白いと感じた。

■ 山本譲二「哀愁運河」

トリ。さすがに貫禄がある。


■ 感想

最後の新曲3曲を除き、メジャーな元気の出る歌が揃っていた。夏にはちょうどいい。個人的なMVPは、森山愛子と冠二郎。

2010年8月2日月曜日

余はいかにしてFC2ブログ、Bloggerを使いしか

私の知っている人(特に女性)が新しくブログを作ったので、見てみると、FC2ブログを使っていた-そうしたことが多い。まさか私がメインにしているブログ「ニートひきこもりJournal」と「場面緘黙症Journal」が FC2 なので、それを真似たわけでもないのだろうが、それにしても FC2 が目立つ。FC2 は人気の無料ブログホスティングサービスであることを考えても、少し多い。

私が FC2 を選んだのは、何より、アフィリエイトが許可されているからだ。また、テンプレートの数は多いし、様々なサービスが充実しているのもいい。ただ、1つのメールアドレスで1つのブログしか作れないので、私のようにブログ量産を考えている人には向かない。また、FC2 はアダルトブログの開設を許可しているので、そうしたものにアレルギーが強い人には、おすすめできない(私自身は、アダルト OK については、たとえ女性でも気にするほどの問題ではないと思うが、さすがにこれは人それぞれなので)。

私が FC2 とともに、この Blogger でブログを数多く開設している理由は、ブログ量産の関係だ。また、Blogger ではアフィリエイトもできる。Blogger は以前から海外でも広く使われてきているので、特に英語ブログを運営するには適している。

ほかに、Seesaa にも1つブログを開設している。ここも、ブログ量産が可能だし、アフィリエイトも許可されているが、私にはいまいち合わない。

[個人的なイメージ]

○ アメーバ:アメブロ。芸能人多し。
○ FC2:豊富なテンプレート。アフィリエイト。
○ ライブドア:昔はすごかった(今でもすごいけど)。
○ はてなダイヤリー:私の近辺では大学教授等がよく利用しており、知的なイメージ。
○ Seesaa:アフィリエイト。
○ Blogger:世界の Blogger。老舗。Google。
○ LiveJournal:Blogger と同様海外で人気。老舗。若者向け。日本の利用者なかなか見ない。

2010年7月30日金曜日

「普通のブログ」に代る名前を考える

「普通のブログ」というこのブログのタイトルは、自分の日常を記録した普通のブログという意味を込めてつけたものだ。これまで私が運営してきたブログは、自分の日常はあまり書かない、変わったブログが多かったからだ。

ただ、この「普通のブログ」という投げやりなタイトル、あんまりなのでいずれ変えたいと思っていた。しかし、いいタイトルはなかなか思いつかない。

[思いついたアイディア(しかし没にしたアイディア)]

OB Journal
⇒ 「普通のブログ」は英語で Ordinary Blog だから、それに、姉妹サイト「ニートひきこもりJournal」「場面緘黙症Journal」と同様、Journal をつけて OB Journal にしてはどうかと思った。これだと、初代タイトル「普通のブログ」も生きてくる。しかし、なんだかぱっとしないタイトルだ。それに、これでは何かの同窓会ブログではないかと勘違いされてしまいそうだ。

Journal Intime
⇒ Journal に関係する英語表現を『リーダーズ英和辞典』で調べたところ、 「(私的な)日記」という意味の、Journal intime というものを見つけた。悪くなさそうに思えたが、日本語圏のブログで既にこのタイトルを採用している人が非常に多かったため、オリジナリティの問題でやめた(「普通のブログ」を使っている人も多いのだが)。

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今月の『日本経済新聞』に連載されている「私の履歴書」は、ノーベル化学賞を受賞した下村脩氏が執筆している。連載は明日で最終回を迎える。

自然科学者という、私には馴染みの薄い世界に生きる方の自伝だったが、とても面白かった。ここのところ、朝、日経を手にとったら、まず最初に「私の履歴書」に目を通していたほどだ。こうしたことは、滅多にない。

私がこれほど面白く感じた理由は分からないが、下村氏の研究テーマが、クラゲ等発光生物という、私にも分かりやすいものだったからかもしれない。

[追記]

「私の履歴書」の中で言及があった『生物発光』という下村氏の著書は、この洋書 Bioluminescence: Chemical Principles And Methods です。

2010年7月19日月曜日

へき地等級

この法律において「へき地学校」とは、交通条件及び自然的、経済的、文化的諸条件に恵まれない山間地、離島その他の地域に所在する公立の小学校及び中学校並びに中等教育学校の前期課程並びに学校給食法(昭和二十九年法律第百六十号)第六条に規定する施設(以下「共同調理場」という。)をいう。

(へき地教育振興法より)


「へき地等級」という言葉を知った。「へき地教育振興法施行規則」による、その公立小中学校が置かれている場所のへき地度を言うそうだ。例えば、「○○小学校は、へき地等級2級」「へき地1級」という言い方をするらしい。5級や4級といった、等級の数字が高いほど、都会から遠く離れている。

私の身近にも、いわゆるへき地がある。だが、へき地等級という言葉を私が聞いたことがないのは、その地区には公立の小中学校すらないからだろう(もう何十年も前に廃校になった。今では子供は全くおらず、お年寄りばかり)。

その地区は、へき地教育振興法施行規則が言うところの「駅又は停留所」「旧総合病院」「病院」「診療所」「高等学校」「郵便局」「市町村教育委員会」「金融機関」「スーパーマーケット」「市の中心地」「県庁所在地又はこれに準ずる都市の中心地」いずれもない。もちろん、コンビニもない。あるのは、時代を感じさせる家と田畑ばかり。この地区から、例えばスーパーに買い物に歩いて出かけようものなら、数時間もかかってしまうのではないか。このため、住民はみな自動車に載って、街まで往復する毎日だ(私の経験では、のどかな地域ほど車を乗り回している人が多い。公共交通機関が発達していないからだ)。このように不便な場所のため、過疎化が進行している。

ただ、自然が数多く残っており、緑豊かな場所であるとは言える。

都会の人にはピンとこないかもしれないが、日本にはこういう場所が案外たくさんある。

2010年7月12日月曜日

若者の投票率の低さについて

私が20歳になったとき、地元自治体か国からか、漫画が送られてきた。これからは選挙に行きましょう、政治に関わっていきましょうという内容の漫画だった。私にも選挙権が与えられたことを知らせる意図があったのかもしれないが、この漫画は少しやりすぎではないかと思った。だが、若者の投票率が低かったことを考えると無理もなかったのかもしれない。

私の実感では、政治に関心を持たない若者はほとんどいない。そうした若者には、ほとんどお目にかかったことがない。政治のことに話が及ぶと、ほとんどみな新聞やニュースをよくチェックしていて、政治について自分なりの考えを持った人が多いことがうかがえる。だが、実際に投票率が低いとなると、これは私が出会う若者層がかなり偏っているのか、それとも政治に関心は持ってはいるものの投票には行かない若者が多いということなのか、どちらかなのだろう。

ときどき、若者はもっと日常会話の中で政治の話をしろという人がいる。ただ、政治の話というのはやや避けた方がよい話題で、TPOを考えてするべきではないかと思う。少なくとも無難な話題とは言いがたい。政治のことになると良好な関係に深刻な亀裂が入ることがある。

[私が教わった、避けた方がよい3大話題]

1 政治
2 宗教
3 お金(お金ではなく、セックスを挙げる人もあり)

私は大学で経済学を学んだせいか、投票に行かないことが合理的に思えることがある。わざわざ時間を作って投票に行っても、自分の1票で世の中は全くといっていいほど変わらないからだ。だいたい、たった1人の有権者の投票行動で世の中の動きに変化が出る社会があったら、そちらの方がおかしい。だが、個人にとって棄権が合理的であっても、若者全体が同じような行動をとり、若者の投票率が低いという結果になると、これは話が違ってくる。若者の投票率が低いからという理由で、政治家は若者にあまり配慮しなくなるかもしれないのだ。「合成の誤謬」という言葉があるが、個人のレベルでは合理的であっても、その個人の行動を集計すると、話が変わってくる。

2010年7月9日金曜日

故郷がない人

世の中には、はっきりとした故郷のない人や、自分の故郷がいったいどこなのか分からない人が存在する。

まず、「自分は東京生まれの東京育ち。だから故郷がない」という人がいる。東京一極集中が進む中、若い世代にこうした人は多そうだ。東京に限らず、例えば大阪生まれの大阪育ちで就職先も大阪という人もそうだろう。なお、私が現在住む土地は東京でも大阪でもないが、私の周辺にはこうした人が多い。生まれてから現在に至るまで、ずっと地方に残っている人たちだ。

また、子どもの頃に引越しを繰り返した人もいる。典型的なのは、親が転勤族のため、子どもの頃に全国各地を短期間に転々とした人だ。こうした人の場合、その人の故郷はいったいどこになるのか、はっきりしない。

いずれの場合も、故郷のあるなしは、生まれ育った場所や親の仕事など、本人の自由意思とは無関係に決まってくる。

* * * * * * * * * *

私の場合、親が転勤族だったわけではないが、子どもの頃にやはり何度か引越しをしている。このため、自分の故郷がどこなのか、はっきりしない。候補となる土地がいくつかあるが、そのうちどれか一つに絞れと言われると困る。せめて、子ども時代にその土地で過ごした期間に大きな差があれば、「ここが自分の故郷、他は第二の故郷」と分けて考えることができるのだが。ついでに言うと、同様の理由で自分の出身地がどこかも分からない。

これは、自分のアイデンティティにも影響を与えているように思う。また、五木ひろしのヒット曲「ふるさと」の一部の歌詞に共感できない(いや、これは大した問題じゃないか……)。

ただ、明確な故郷がある人をうらやましいと感じることは、私について言えばない。

2010年7月5日月曜日

大竹文雄『競争と公平感』

競争と公平感―市場経済の本当のメリット (中公新書)今話題のこの本、ようやく読んだ。書評、というより感想を書く。

この本は、競争と公平感、そして労働をテーマに、経済学の観点による小論をまとめたものだ。

多くの人の間で関心が高そうな身近な話題がいくつも盛り込まれている。それに経済学といってもやさしく書かれているため、経済学部の学生や、経済学を知らない一般の人にも広くおすすめできる。分量も特に多いというほどのものではなく、手軽に読める本だ。私としては、特に市場経済のデメリットを学校で強調されて学んできたと思われる一般の人に読んでほしい(だから、他の人がさんざんこの本を紹介しているのに、わざわざ私がこのブログで取り上げた)。また、最新の研究動向を踏まえた内容なので、私のような中途半端な知識しか持たないヘナチョコ経済学士には十分勉強になる。だいたい、せっかく経済学部で経済学的思考を学んでも、卒業後経済学の書物を継続して読まないと、経済学的思考がなまってしまってよくない。

格差や非正規、最低賃金等の問題も、本書のような経済理論や実証分析に基づく政策論議を期待する。私が大学で経済学を学んでいた頃、ある先生が「みなさんは経済学を勉強して、どの政党が言っていることが正しいのか判断できるようになってください」とおっしゃっていた。どうしてこのようなことを言う先生がいらしたかというと、経済学的に考えるとナンセンスな主張を政党が展開することがあるからだ。

著者の大竹文雄氏は、大阪大学教授。専門は労働経済学。

[文献]

◇ 大竹文雄(2010)『競争と公平感-市場経済の本当のメリット-』中公新書。

2010年6月30日水曜日

私も水筒男子だ

■ 夏きたる

すっかり夏らしくなってきた。

私は体質で、暑い時期に身体を動かすと大量の汗をかいてしまう。たくさん汗をかくと、新陳代謝が良くなっていいという話は聞いたことがあるのだが、それにしても汗は鬱陶しく、シャツに汗がびっとりついて気持ちが悪い。こうなると、身体を動かすのがおっくうになってしまう。

汗を多くかくと、水分補給が欠かせない。この頃は気温が上がってきたので、私は水筒を持ち歩くようになった。この水筒は昔遠足のために買ったものだが、ビッグサイズで、持ち歩きに不便だ。もっと携帯に便利な小さい水筒が欲しいところだ。

また、日差しが強くなってきたので、外出の際にはそろそろ帽子をかぶることを考えなくてはならない。私は外出をするときには車を使わず、長時間歩くことが多いので、なおさらだ。

室内にいるときは、エアコンにはできるだけ頼らず、薄着をしたり、扇子や扇風機を使ったりすることにしている。

■ 日向の国の美人姉妹

昨夜TV番組「NHK歌謡コンサート」を見たところ、演歌・歌謡曲の歌手としては稀に見る美貌の歌手が登場し、驚いた。民謡日本一とミス宮崎による姉妹デュオ・黒木姉妹。2010年1月27日に『泣かんとよ』でデビューした新人だそうだ。宮崎と言えば、いま宮崎の畜産農家は大変な思いをしているらしい。こういう時期だけに、黒木姉妹にも頑張って欲しい(口だけでなくて、実際に CD なりなんなりを買わないといけないな)。

■ 英英辞典

先日、アフィリエイトのお金が少したまったので(本当に少しだが……)、英英辞典を買った。小型水筒を買えばいいのに、英英辞典を買ってしまうのが私流のお金の使い方だ。この英英辞典については、姉妹ブログ「ひきこもり英語ブログ」の記事「Pocket Oxford English Dictionary」を参照。

2010年6月20日日曜日

「ハーバード白熱教室」見終えた感想

NHK教育テレビ「ハーバード白熱教室」は今日が最終回だった。私が最初に見た回は4月18日放送分「『富』は誰のもの?」だったが、それ以降、毎回欠かさず見ていた。テレビをあまり見ない私がこれだけ視聴を続けたのは珍しい。

しかし、内容は(私には)難しく、十分に理解はできなかった。当然だろう。なにしろ、ハーバード大学の講義を、この頭の悪い私が見ているのである。しかも、もともと哲学の素養もない上、予習も復習もしていない。だが、全く何も理解できなかったわけではないし、名門大学の講義の雰囲気だけでも味わうことができただけ、まあよしとしよう。小林正弥千葉大学教授による解説が、理解の助けになった。

あのような講義が展開できたのは、学生のレベルが高かったからだろう。発言をした学生はみな熱心で聡明で、予め講義に備えてよく勉強してきているようだった。

ポケットに手を入れながら発言をする学生をよく見かけた。中には、ガムをかみながら発言している学生もいた。日本では無礼とされる態度だが、アメリカではそうではない。一度スパイダーマンが講義室に紛れ込んでいたが、目立ちたがり屋の仕業だろうか。

このブログには、ハーバード白熱教室について検索して訪問する方がいらっしゃるが、中には、サンデル教授の著書を検索する方がいらっしゃる。おそらく、最近出版サンデル教授の講義が書籍化されたという話を耳にし、その本を探していらっしゃるのだろう。そこで、案内のために、その本を紹介することにする。Amazon.co.jp へのアソシエイトリンクだ。

↓ これがその本『これからの「正義」の話をしよう』

2010年6月14日月曜日

校歌の歌詞

私が入学した小学校の校歌の歌詞は現代的で親しみやすく、小学校低学年の私にも分かりやすいものだった。

その後転校したのだが、転校先の小学校の歌詞は文語体で難しく、子どもの私には理解が難しい、とっつきにくいものだった。「だいたい、昭和50年代にできた新設校なのに、どうしてこんな古めかしい歌詞なんだ!」と憤慨したものだ。だが、格調高く、ありがたみが感じられる歌詞だった。

今にして思うに、小学校といえども、校歌と言えば文語体というのがだいたいの相場だろう。

・ 文語体。
・ 学校の教育理念が歌詞に入る。
・ 海や山や川など、地元の自然が歌詞に入る。
・ 「○×小学校」など、学校名がフルネームで入らないことが案外多い。フルネームではなく、○×とだけ歌詞に入る。

といったところが、現代の校歌におおむね共通する特徴だろうか。

私の祖母が出た小学校では、当時、天皇賛美や富国強兵がうたわれていたそうだ。戦後に入って、この小学校は校歌を改訂した。現代ではこうした校歌はほとんどないだろう。

だが、中にはこうしたセオリーが当てはまらないユニークな校歌もある。

宗左近氏(故人)が作詞した校歌はユニークなものが多く、ネット上でも有名だ。福島県立清陵情報高等学校の校歌「宇宙の奥の宇宙まで」など。だが、時に奇抜なその歌詞は、愉快的に取り上げられることもある。

最近話題になった歌は、校歌ではないのだが、済美高等学校の学園歌だ。同校野球部が甲子園に出場して勝ち進むとともに、このユニークな校歌が何度もTVやラジオで流れ、話題になった。当時の小泉首相は、所信表明演説の中でこの歌を引用している。

2010年6月1日火曜日

NHK歌謡コンサート「愛ひとすじに生きる女」

NHK歌謡コンサートを見た。若い歌手も出ていたので、感想を書く。

最初は、先日亡くなった吉岡治作詞の歌を、石川さゆりが3曲続けて歌った。今回の歌コンは「番組内容を一部変更」したとのことが、変更箇所はこのあたりだろうか。

■ 石川さゆり「天城越え」

石川さゆりが「天城越え」や「津軽海峡冬景色」を歌うと、親もTVの前で一緒に歌い出す。私は石川さゆりの歌をじっくり聴きたいのに、親の歌声も一緒に耳に入ってきて、台無しだ。

■ 石川さゆり「夫婦善哉」

この曲から、親が一緒に歌わなくなった。おかげでじっくり聴けたが、やはり石川さゆりの歌声はいい。このあたりはセットといい、番組側も力を入れている様子が窺えた。三原綱木とザ・ニューブリードは、どこに隠れていたのだろう。

■ 石川さゆり「だいこんの花」

吉岡治が作詞した石川さゆりの最後の曲。

■ 秋元順子「一枚の写真」

人気歌手となると、新曲を歌コンで何度も歌える。それにしても、相変わらず歌の上手い人だ。

■ 香西かおり「春陽炎」

「はるかげろう」と呼ぶ。

■ 音羽しのぶ「女・・・そして女」

私がTVで音羽しのぶを視たのは久しぶりだが、綺麗な白いドレスを着て、別人みたいになってた。音羽しのぶというと、奇抜な格好で股旅演歌を歌っていたデビュー当初と、その前の森川美里時代しか思い出せない。しばらく演歌番組を視ていなかったせいだ。今日歌っているときに手につけていたお数珠みたいのは何だったのだろう。「女・・・そして女」は最近出した新曲だが、作曲は市川昭介(故人)だった。

■ 九重佑三子「ウェディング・ドレス」

時代の歌・こころの歌。かつてのNHKの人気番組「夢であいましょう」からヒットした曲だそうだ。作詞永六輔、作曲中村八大。

■ 出光仁美「おんな七厘・神楽坂」

今年4月21日にデビューした新人。当然、歌コン初登場。出演歌手の中でも、最もかわいくて、綺麗だった。声と歌と着物がいい具合にマッチしていた。それにしても、最近は水森英夫門下が多いな。音羽しのぶも水森門下だったはず。

■ 三代沙也可「桜の川」

小田切アナのあの説明の仕方、三代沙也可も歌コン初登場みたいに聞こえた。本当に初登場なのだろうか、それとも違うのだろうか。

■ さくらまや「ノラ猫三度笠」

低年齢のため、生ではなく録画での出演。猫の扮装をして歌っていた。歌の最中、どこからともなく、「ニャー」「ニャー」という声が何度も聴こえた。かわいらしい雰囲気だったが、こうした雰囲気はさくらまやにしか絶対に出せない(他の出演歌手が真似することは、絶対に無理だ)。それにしても、出演者の年齢層の幅が広い歌番組だ。

■ あさみちゆき「黄昏シネマ」

ギターを抱いて歌っていた。このスタイルは変わらない。

■ 大月みやこ「心ひとすじ」

締めだった。

■ まとめ

今週のテーマが「愛ひとすじに生きる女」だったためか、出演歌手は全て女性だった。ときどきこういう思い切った人選をした方がメリヘリがあって、見る側としては面白い。

[蛇足]

この番組が終わった後、英語の語学番組「リトル・チャロ2」の番組宣伝があった。「リトル・チャロ2」といえば、あの語学番組とは思えないポップな主題歌が気になっていたのだが、あの主題歌は倉木麻衣が歌っているとのこと。

2010年5月25日火曜日

長袖の問題

この頃、暑くなったり寒くなったり、不安定な天候が続いたりしていた。この天候ゆえか、風邪をひいた人を見かけることが多かった。私は風邪はひかず、少なくとも自分では健康的なつもりだ。

そろそろ衣替えの季節だ。長袖から半袖に変わる。長袖で困るのは、台所で洗い物をしたり、洗面所で手洗いをしたりするときだ。腕まくりをするのだが、どうしても袖が下にずれ落ちてしまい、袖先に水がかかってしまう。こうなると、雑菌が繁殖して嫌なにおいがして、よくない。これを防ぐために、洗い物をするときはアームバンドをしている。しかし、洗面所で手洗いするときにまで、いちいちアームバンドをするのは面倒だ。特に手洗い後にアームバンドをするのは難しい。結局、洗面所の手洗いで長袖に水がかかってしまうわけだ。このように長袖で困っているのだが、反袖の季節が来ればこのような問題で困ることはない。

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冬季オリンピックとパラリンピックはしばらく前に終わったが、今度はワールドカップがあるだそうだ。しかし、今のところ興味はない。私はもともとサッカーには興味がなく、過去のWCでも無関心だった。今回も無関心のまま終わるのか、それとも、にわかサッカーファンになるのか。

姉妹ブログ「ニートひきこもりJournal」が、うまく書けなくて少し悩んでいる。だんだんネタ切れが進んでブログがつまらなくなる「ブログネタ収穫逓減の法則」が現実のものとなりつつある。「昔のネタを使いまわせ!読者は入れ替わっているからばれないよ!」という悪魔のささやきが聞こえる。今年に入って更新頻度が少し下がっているのも、なかなかネタが思いつかないことが理由の一つだ。

以上、近況。

2010年5月17日月曜日

吉岡治

作詞家の吉岡治が亡くなったそうで、驚いている。つい最近、吉岡治が作詞した新曲が出たばかりだったのだが。

非常に残念だ。私は特に、日本の自然や原風景を描いた歌詞が好きだった。最近、「花筏(はないかだ)」という美しい日本語を知ったのも、吉岡治が作詞した岩本公水の歌を聴いたのがきっかけだった。

Wikipedia には、吉岡治が作詞した代表的な作品が載っている。演歌・歌謡曲が多いが、アニメソングや童謡もある。国民的に知名度の高い歌も多い。こうして見ると、改めて吉岡治の偉大さが分かる。

Wikipedia「吉岡治」新しいウィンドウで開く

○ 天城越え

天城越えというのは、情交の際の性的絶頂をも指していると解釈できる。非常に官能的な描写の歌詞だ。ネットで調べても、私と同様に解釈している人は多いことが分かる。この歌はカラオケで人気だそうだが、歌い手はこの解釈を知った上で歌っているのだろうか。

○ 命くれない

深山はるかに提供した「命まるごと」という歌もある。

○ 燃えてヒーロー

私の世代の男性には、幼い頃にTVアニメ「キャプテン翼」を見たという人が多く、馴染み深いのではないか。

○ あわてんぼうのサンタクロース、おもちゃのチャチャチャ

私の世代で、この歌を知らずに育った子どもはいるのだろうか。「あわてんぼうのサンタクロース」というと、関係ないのだが、私が子どもの頃によく読んだ「さむがりやのサンタ」という絵本を思い出す。この本は1973年初版で、現在も福音館書店より発売中。

* * * * * * * * * *

演歌・歌謡曲のファンを続けていると、訃報に接することが多い。歌手の訃報より、作詞家、作曲家の訃報が目立つ。ご年配の作詞、作曲家は多いが、亡くなった人の分まで長生きしてほしい。

2010年5月6日木曜日

GWの総括

ゴールデンウィークが終わった。今日からまた平日だ。

GW期間中は、同居している私の家族が、数日行楽地に旅行に出かけていた。しかし、私は旅行には同行せず、GW中は留守番役だった。家には私以外誰もいなかったので、好き勝手にやらせてもらった。特に、今まで挑戦したことがない料理を作ってみて、なんとか食べることができたのが楽しかったし、自信にもつながった。独りは気楽でいい。やはり私は根っからの独り好きなのだろうか。

女性は旅行が好きだな。男の私は旅行には興味がない。旅行によって得るものもあるだろうが、費用対効果が高いような気が私にはする。それにしても、自分が旅行が好きだからって、「旅行をしない奴はおかしい」というような、趣味の押し付けはやめてほしい(我が家は母子家庭で、母親の息子に対する女性的価値観の押し付けがよく起る)。私は旅行より読書を好む。

GWには、一部ブログの更新をお休みして読書をし、積読状態を解消しようと思っていた。しかし、これは思うようにはいかなかった。読まなきゃ読まなきゃと焦っているうちに、あっという間にGWが終わってしまった。私の積読はいったいいつになったら解消されるのだろうか。

GW中、姉妹ブログ「面白いホームページ」を4ヶ月ぶりに更新している。今回の記事は「行方不明者、失踪者に関するHP」。面白いホームページとは少し違うが、取り上げてみた。

◇ 「面白いホームページ」内、「行方不明者、失踪者に関するHP」
新しいウィンドウで開く

2010年5月3日月曜日

国民の祝日に関する法律

国民の祝日に関する法律

公布:昭和二十三年七月二十日法律第百七十八号
最終改正:平成一七年五月二〇日法律第四三号

第一条  自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民こぞつて祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを「国民の祝日」と名づける。

第二条  「国民の祝日」を次のように定める。
元日 一月一日 年のはじめを祝う。
成人の日 一月の第二月曜日 おとなになつたことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます。
建国記念の日 政令で定める日 建国をしのび、国を愛する心を養う。
春分の日 春分日 自然をたたえ、生物をいつくしむ。
昭和の日 四月二十九日 激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす。
憲法記念日 五月三日 日本国憲法 の施行を記念し、国の成長を期する。
みどりの日 五月四日 自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ。
こどもの日 五月五日 こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する。
海の日 七月の第三月曜日 海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う。
敬老の日 九月の第三月曜日 多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う。
秋分の日 秋分日 祖先をうやまい、なくなつた人々をしのぶ。
体育の日 十月の第二月曜日 スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう。
文化の日 十一月三日 自由と平和を愛し、文化をすすめる。
勤労感謝の日 十一月二十三日 勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう。
天皇誕生日 十二月二十三日 天皇の誕生日を祝う。

第三条  「国民の祝日」は、休日とする。
2  「国民の祝日」が日曜日に当たるときは、その日後においてその日に最も近い「国民の祝日」でない日を休日とする。
3  その前日及び翌日が「国民の祝日」である日(「国民の祝日」でない日に限る。)は、休日とする。

附則

略。

2010年4月27日火曜日

NHK歌謡コンサート「風薫る最新旅情ヒット」

2週間ぶりにNHK歌謡コンサートを見たが、家事等により一部じっくり聴くことができなかった。それでも、感想を書く。

■ 水森かおり「松島紀行」

今日は水森かおりの新曲からスタート。水森かおりの曲って、いつもこんなメロディーだっけ。最近は若者がCDを買わなくなっているとはいえ、新曲がオリコントップ10に何度も入る水森かおりは本当にすごいと思う。欲を言えば、もっと大きなヒット曲を出して、レコード大賞をとってほしい。また、水森かおりに続く若手歌手がどんどん出てきて欲しい。こんな勝手なことを言うのは、若手演歌ファンとして、年齢が比較的近い若手・中堅演歌歌手に頑張ってほしいという素朴な願いからだ。

■ 田川寿美「北の港駅」

じっくり聴けなかった。残念。いつもと変わらず不二家のペコちゃんに似て愛らしいお顔だ。

つばめ返し■ 山内惠介「風蓮湖」

予想通り、「イケメン3」の一人(三男だったかな?)と紹介されていた。イケメン3の中では、個人的に一番ハンサムだと思う。「つばめ返し」のジャケット写真などは本当にかっこいい。今回の曲、前も歌コンで歌っていたような。

■ 石原詢子「ひとり日本海」

日本海、なかなかいい。最近、日本経済新聞紙面の広告で、洋服姿の石原詢子を見て驚いた。何の広告かは忘れてしまったが、綺麗に写っていた。

■ 北山たけし「高千穂峡」

色々あって、じっくり聴けなかった。残念。

■ 鳥羽一郎「宝来船祭り」

何だかとてもめでたくて縁起がよさそうな歌詞だった。

■ ニッキー「虹の彼方に」

歌コン最前線。最近このコーナーは、演歌・歌謡曲以外の曲を紹介することも珍しくない。私としてはちょっと残念。「虹の彼方に」はジャズのスタンダードナンバーだそうだが、全然知らなかった。私は高橋由美子の方を思い出したのだが。ニッキーの歌声は事情によりあまり聴けなかったが、歌はうまそうに聞こえた。

■ 愛田健二「京都の夜」

時代の歌こころの歌。昭和42年のヒット曲とのことだが、知らなかった。演歌・歌謡曲好きの私が、勉強不足だ。

■ 神野美伽「みさお酒」

「みさお酒」の意味がちょっと分からなかった。もっとじっくり聴くべきだった。

■ 大沢桃子「風の丘」

今日の出演者の中で、個人的に一番綺麗だと思った。歌も良かった。個人的な今日のMVP。

■ 八代亜紀「一枚のLP盤(レコード)」

亡き父への思いを歌った歌。さすがにベテランで、聴き応えがあった。

■ まとめ

今回は若い歌手が多く、私としては嬉しかった。だが、逆に言えば、コアな演歌ファン以外ではあまり知られていない歌手が多かった。視聴率が心配だ。

[追記]

誤解を招く恐れのある表現を見つけたので、一部の表現を修正した。(2010年4月28日)

2010年4月19日月曜日

NHK教育「ハーバード白熱教室」

NHK教育の「ハーバード白熱教室」というテレビ番組を Twitter で知り、今日初めて見た。

ハーバード大学と言えばアメリカの名門大学だが、その中でも非常に人気がある授業、Michel Sandel 教授の "Justice" の内容を送るのがこの番組だ。放送にあたって、授業の内容は日本語に訳されているほか、小林正弥千葉大学教授による簡単な解説もついている。

Justice の内容は以前よりインターネットで公開されているが(ただし英語)、ハーバード大の授業が一般の目に触れるのはこれが開学以来始めてのことだという。それを1時間にわたって見ることができるとは、なんとも贅沢な番組だ。

今回、4月18日放送分のテーマは「『富』は誰のもの?」で、課税とか所得分配とかリバタリアニズムとか、我々の生活、特に経済と関わりの深いテーマで、特に経済学部卒の私にとっては非常に興味深い内容だった。現代の日本でも「格差」が多くの人の関心を呼ぶテーマだが、こういう富の分配の話とか、政府による再分配の話は、経済学部卒でなくても人をひきつけるテーマだ。「金持ちからたくさん税金とれよ」とか「ニートなんかに血税を使うな」とか、この手の話になるとむきになる人も多い。

授業の内容は学生を対象としたものなので、インテリの方には物足りないかもしれないが、私のような学識のない人間には十分面白い内容だった。

できれば、日本語訳は吹き替えではなく、字幕の方が私にはありがたかった。私は英語を勉強しているからだ。できれば後で時間を見つけて、Justice の英語サイトで公開されている吹き替えなしの授業動画を見て、授業の復習とともにリスニングの勉強をしようと思う。

2010年4月13日火曜日

NHK歌謡コンサート「女とおんな 歌に女あり」

久々にNHK歌謡コンサートを見た。せっかくなので感想を書く。なお、私は演歌・歌謡曲は好きだが、演歌・歌謡曲の専門的なことはよく分からない。

■ 北島三郎「加賀の女」

北島三郎がこの歌を歌っているの、始めて見た。「函館の女」はよく見るのだが。しかも冒頭にこの曲をもってくるとは。新鮮な選曲だ。「薩摩の女」なども聴きたい。

■ 宮史郎「女のみち」

すっかりおなじみの一曲。[追記]「女のみち」って、スペイン風にアレンジした曲がなかっただろうか。検索しても見つからないのだが。あれを聴いた時、なんたるアレンジかと驚愕した。スペイン風「女のみち」、もっと多くの人に知られてしかるべきだ。

■ 門倉有希「女の漁歌」

紅白で歌っていた歌だ。懐かしい。1年ほど前か、YouTube で当時の門倉有希がこの歌を歌っている場面を見たが、若くて可愛くてびっくりした。当時は何とも思わなかったのだが。以前から疑問に思っていたのだが、北島三郎の「漁歌」とは関係があるのだろうか。

■ 大月みやこ「女の駅」

この歌、高校時代か大学時代にラジオか何かでよく聴いた覚えがある。だが、87年のヒット曲だったのか。なぜあの頃頻繁にラジオで聴いたのだろうか。

■ 藤あや子「おんな」

艶やかだった。背景も桃色。

■ 池田輝郎「おんな船頭唄」

三橋美智也の歌だが、いい歌手を歌唱に選んだものだ。だが一緒に聴いていた母は「三橋美智也に比べると高音がイマイチ」と言う。本当にそうなのかどうか、三橋美智也をあまり聞いたことがない私にはそこまでよく分からない。大歌手の歌をカバーすると比べられてしまい、大変だ。

■ 都はるみ「おんなの海峡」

歌唱の最中の身体の動きがダイナミックだった。

■ 岸田敏志「きみの朝」

時代の歌こころの歌。時代からいって、リアルタイムでは聴いたことがあるはずがないのに、聞き覚えのある歌だ。

■ 坂本冬美「また君に恋してる」

宮城から中継での歌唱。この歌、今すごく売れているそうだ。なぜ坂本冬美ばかり大ヒットが出て、島津亜矢はいまひとつなのか。島津亜矢もとてもいい歌手だと思うのだが、ヒット曲に恵まれていない。

■ 大川栄作「あの日の君を恋うる歌」

心に染みるいい歌だ。

■ 竹島宏「この身を投げて」

大川栄作の次に、竹島宏をもってくるのか。

■ 北島三郎「夫婦一生」

私は独身だ。

■ まとめ

いつも通り。強いて言えば、最後の3曲、新曲がいつもより印象的だったような気がする。

それにしても、昔から出演歌手に代わり映えがない。若輩演歌ファンとして、もっと若い歌手が出てきて欲しいとも思うのだが。門倉有希が2番目の若手という位置付けは何なのか。10年後の歌コンの顔ぶれはどうなっているのだろうか。

2010年4月9日金曜日

春の花粉症、花見

春だというのに、まだまだ気温が低く、寒くて仕方がない。

■ 花粉症

私は花粉症持ちだ。この頃、鼻がムズムズする。目がかゆくなることもある。

1日中ずっと家にいるような日でもこうした感覚を覚えることがある。ある時などは、本当に鼻が止まらなくて、ティッシュがいくつあっても足りない状況だった。別の日は、机に向かってものを書いていたところ、鼻がたれてきて、弱ってしまった(汚い話、申し訳ない)。

外出中は意外にこうした症状は出ない。花粉症対策にマスクを着用しているからかもしれない。新型インフルエンザ対策に大量に購入しておいたマスクが、この時期に別の用途で役立っている。

奇妙なことに、富重家で花粉症持ちは私だけだ。私が花粉症になったのは環境要因が大きそうだ。

■ 花見

日本人には桜が好きな人が多いため、好むと好まざるとに関わらず、花見に巻き込まれる。私は別に桜に興味はないが、周りはそうでもないため、しばしば桜好きの巻き添えに遭う。

親が花見に行きたいというので、以前より私は度々情報収集に追われている。このブログの更新がしばらく滞っていたのも、これが一因だ。

加えて、親は近く(徒歩50分ぐらいの距離)の公園のお花畑に強い関心を持っていて、そのお花畑の実施調査を度々私に依頼している。この公園には車や公共交通機関で行くことができないため、私は歩いて現地に向かい、調査を続けている。これにより、私の休日はとんでしまう。花粉がとんでいるこの時期に、あまり外出はしたくないのだが。

花の季節なんて大嫌いだ。

2010年4月8日木曜日

経済学部を出たんだから……

「経済学部ご出身なんだから、経済にはお詳しいんでしょう」

そんなことを言われることがある。確かに経済学部を出ている以上、経済のことは詳しいはずだし、よく分からないというのであれば情けないと考えるのが普通だろう。

■ 大学で学ぶのは主に理論

しかし、経済学部で教授される事柄は、数学等を使った経済理論が中心で、実体経済や制度、時事問題といった事柄はあまり教授されない。少なくとも、私が出た大学・学部はそうだった。

私が受講した国際経済学の第1回の講義で、先生がおっしゃった次の言葉がそのことをよく表している。

「この講義を受講しても、例えば日本とアメリカの貿易関係が分かるようになるとか、そうしたことはありません。この講義で学ぶのは理論なのです」

そして、講義では、リカードの比較生産費説やヘクシャー=オリーン定理、要素価格均等化定理、ストルパー=サミュエルソン定理といった話を、数式を用いながら解説していったのだった。

しかし、「大学で学んだのは理論ばかりだったので、時事問題はさっぱり分かりません」では、世間では通用しない。理論以外の経済に関する事柄は、新聞や本を読むなどして、自ら学ばなければならない。

■ 「経済」と言っても、幅広い

だいたい、経済と言っても、学ばなければならない領域は非常に広い。学部で言うと、経済学部で学ぶ内容のほかに、商学部、経営学部、さらには一部法学部で学ぶ内容も、経済に関する内容を含んでいる。

実際には、経済学を専攻した人は、商学や経営学、法学といったところにはやや疎いものだ。しかし、世間はそういう目では見てはくれない。ある企業経営者は、マルクス経済学で有名な私大の経済学部を出たのだが、若い頃「お前は経済学を専攻したのに、会計も分からないのか!」などと叱責されたそうだ。経済学と会計学は全く別の分野なのだが、世間は「経済学を専攻したのだから、会計も詳しいはずだ」と見てしまう。

経済学分野に限ってみても、幅広い。経済理論、財政、金融、国際経済、労働経済、経済史、環境、社会保障、地域経済……どの学生も、そのうち一分野のみを専門にして、学び、研究しているのが実情だ。しかし、世間はそうは見てはくれない。「経済学部を出たんだから、財政問題には詳しいでしょう」「経済学部を出たんだから金融政策には詳しいでしょう」「経済学部を出たんだから失業とか貧困、格差問題には詳しいんでしょう」「経済学部を出たんだから、景気の予測はできるでしょう」「経済学部を出たんだから、株には詳しいんでしょう」「経済学部を出たんだから、話題のベーシックインカムについても詳しいんでしょう」

これらについて、「分からない」では済まされない。経済学部卒は、学ばなければならないことが山ほどあるのだ。学部の単位を揃えて満足しているだけでは不十分だ。決して、楽な学部ではないと私は思っている。

2010年3月27日土曜日

弘前大学は国立、青森大学は私立

先日、文部科学省による国立大学の評価に関して、「弘前大」という大学名が、新聞紙上を賑わしていた。あの評価、弘前大学の関係者にとっては不本意だったことだろう。

ただ、今回の報道で、初めて弘前大の名を知ったという方も多かったのではないかと思う。そして、「弘前大って、私立みたいな名前だけど国立なのか!」と驚かれた方も多かったのではないかと思う。

弘前大は、青森県にある国立大学だ。一方、青森大学という大学もあるが、これは私立大学である。

このあたり、分かりにくい。県名大学が必ずしも国立大学とは限らないのだ。同様の例は、全国の都道府県でいくつかある。私が知る限りでは、以下の通りだ。

青森県 :青森大学 ⇒私立 弘前大学  ⇒国立
宮城県 :宮城大学 ⇒公立 東北大学  ⇒国立
栃木県 :栃木大学 ⇒なし 宇都宮大学 ⇒国立
神奈川県:神奈川大学⇒私立 横浜国立大学⇒国立
石川県 :石川大学 ⇒なし 金沢大学  ⇒国立
長野県 :長野大学 ⇒私立 信州大学  ⇒国立
愛知県 :愛知大学 ⇒私立 名古屋大学 ⇒国立
兵庫県 :兵庫大学 ⇒私立 神戸大学  ⇒国立
奈良県 :奈良大学 ⇒私立 奈良女子大学⇒国立
福岡県 :福岡大学 ⇒私立 九州大学  ⇒国立
沖縄県 :沖縄大学 ⇒私立 琉球大学  ⇒国立

そのほか、まぎわらしそうな大学。

北陸大学⇒私立 関西大学⇒私立 近畿大学⇒私立 四国大学⇒私立

油断すると旧帝大と勘違いしてしまいそうな名前だ。関西大や近畿大はわりと有名だが。あと、かつては「本州大学」という私立大学が存在したと聞く。

あと、ご存知の方も多いかもしれないが、この大学も私立であることを付言しておく。

日本大学⇒私立

2010年3月25日木曜日

就職氷河期で普通という感覚

イギリスのニュース雑誌(本当は新聞)The Economist が、日本の大卒者が直面する厳しい雇用情勢を簡潔に紹介していた。現地時間3月18日、1週間前の記事だったのだが、昨日まで気づかなかった。真面目に雑誌読んでいない証拠だ。

教育機関を出た若者が労働市場で厳しい状況に置かれているのは、金融危機後、各国概ね共通していると思う。だが、日本の場合は、つい前まで経験した就職氷河期が再来するという点で、特殊だ。だから、今回のような記事が書かれたのだろう。

最後の方で、より年齢層の高い世代の労働者について随分とはっきりした言及があったのが印象的だった。

http://www.economist.com/business-finance/displaystory.cfm?story_id=15720585&source=hptextfeature
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↑ 上記記事へのリンク。

私にとって、若者を巡る雇用情勢は厳しいのが普通、氷河期で普通という感覚だ。

バブル時代やそれ以前の雇用情勢については、リアルタイムではよく知らない。当時はまだ子供で、経済問題については詳しく分からなかった。

私が大学に進学したときには、既に大学4年生は就職氷河期ということで大きな話題になっていた。「洋ちゃんが大学を出る頃には、良くなっているといいね」などと言われたものだ。しかし、その後雇用情勢は良くなるどころかますます悪化した。氷河期はその後、多少の波を経ながら、現在に至るまでほぼ一貫して続いている。一時期、景気が上向いて売り手市場になった時期もあったが、長くは続かず、The Economist が言う「A new ice age」(新たな氷河期)が到来している状況だ。

2010年3月24日水曜日

「客は常に間違っている」

■ 「お客様は神様です」

三波春夫の「お客様は神様です」という言葉は広く知られている。ビジネス関係の書物でも、「顧客第一主義」とほぼ同義で引用されることがある。しかしこの言葉、賛否両論分かれているようだ。

だが、「お客様は神様です」は一人歩きしていて、三波春夫本人が意図した意味とは、ややかけはなれた意味で使われている。一つの言葉が広く大衆に使われていくうちに多義的になるのは私個人は必ずしも悪いこととは思わないが、亡き三波春夫が誤解を受けるようになっては気の毒だ。三波春夫の真意を知りたい方は、三波春夫のオフィシャルサイト等で調べてみることをおすすめする。

■ 「お客様は王様です」

英語圏では、「お客様は王様です」という言い回しがある。英語で書くと、The customer is king. こちらの方が、「神様」よりも私にはしっくりくる。

ほかにも、「お客様が一番です」(The customer is number one)、「お客様がボスです」(The customer is the boss)という言い方もあるらしい。

■ 「お客様は常に正しい」

「お客様は常に正しい」(The customer is always right)という表現も、よく知られている。

ただ、この言葉にも異論があるのか、アイルランドの航空会社 Ryanair の Michael O’Leary 最高経営責任者(CEO)などは、「客は常に間違っている」(The customer’s usually wrong)と発言したらしい。イギリスの経済紙 Financial Times に現地時間22日掲載された Michael Skapinker 氏のコラム "Right or wrong, the customer always matters"(電子版で確認)は、企業の顧客とのかかわり方について触れながら、ロンドンのブラックキャブの最近の動きについて論評が行われている。

2010年3月23日火曜日

3連休をどう過ごしたか

連休など私にはあってないようなものだが、この3連休をいかに過ごしたかを日記風に簡潔にまとめる。

■ 3月20日(土)

1日早いお彼岸のお墓参りに行った。21日は天気が崩れるから1日早く行こうという親の命令、もとい提案だった。

お墓参りは家族のほか、親戚の祖母も一緒に行った。このため、目的のお墓は、富重家の墓と祖母の家の墓の二箇所だった。

私は運転係だった。墓参と夕食(外食)の時間を挟んで、3時間ほど運転した。
帰ったらぐったりしてしまった。

遅い時間帯に墓参したためか、それとも1日早く行ったためか、あまり人は見かけなかった。

今日の更新。

[ひきこもり英語ブログ]

やさしいひきこもり英語-仮定法と社会参加の可能性新しいウィンドウで開く

[Hikikomori - Social withdrawal in Japan]

Youth Independent Camp is to be closed新しいウィンドウで開く

■ 3月21日(日) 春分の日

外は強風で天気が悪く、黄砂まで吹いていた。このため、外出は控えた。

大河ドラマ「龍馬伝」の吉田東洋、非常に優秀な人物に描かれているが、歯に衣着せぬ物言いが人心を傷つけている。次回で暗殺されるようだが、暗殺の理由は武市半平太との思想上の隔たりだけでなく、怨嗟まで加わっているようだ。怨嗟も理由というのがドラマらしいし、暗殺という極端な手段がとられる説得力を感じる。

ブログの更新は今日はなし。連休の中日だし、更新できなくても大きな問題はあるまい。

■ 3月22日(月) 振替休日

休日が多いと、どんどん昼夜逆転が進行していってよくない。

今日の主な更新。

[ニートひきこもりJournal]

自分は仕事人間になると思ってた新しいウィンドウで開く

[場面緘黙症Journal]

ブログ更新(緘黙ストーリー・合格発表)新しいウィンドウで開く

「最近の緘黙関連論文」を更新新しいウィンドウで開く

2010年3月15日月曜日

公立高で合格発表 1,234人に春来ず-架空新聞

富重県の全日制公立高校の合格発表が15日午前9時、一斉に行われ、1,234人が不合格だった。一方、合格者は9,877人で、実質倍率は1.12倍(前年度1.11倍)。

不合格者の多くは落ち込んだり、悔しがったりしていて、歓喜に満ちた表情の合格者とは対照的だった。

■ 不合格者の表情

◇ 大学受験でリベンジ

A高校で不合格だった山田太郎さん(有瑠歩亜中3年)は、「いち早く受験勉強に取りかかり死ぬ気で頑張ってきたのに。とても悔しい。悔しくて仕方がない。大学受験でリベンジを果たす」と悔しさをにじませていた。

◇ 倍率が高く、何が起るか分からないと思っていた

県内で最も高い1.77倍の倍率だったB高校を受験し、不合格だった鈴木花子さん(辺田中学3年)は、「この高校は倍率が高かったから、何が起るか分からないと思っていた。不合格といっても、まだピンとこない」と話していた。

◇ 落ちてもともと

C高校で不合格を知った佐藤一郎さん(雁間中3年)は、「既に私立高校の特進に合格していたので、ワンランク上の高校を、落ちてもともとで受験した。4月からは滑り止めの私立に進学するが、それにしても不合格はこたえる」と落ち込んだ様子だった。

◇ 友達はみんな合格したのに

D女子高校で不合格だった高橋さくらさん(出流田中3年)は、「この高校には、友達も何人か受験した。みんな合格だったのに私だけ……」と声を振り絞るように話していた。


富重県では、公立高に不合格だった生徒の大半は、滑り止めの私立高に進学したり、公立高の二次募集で再受験をしたりするが、一部には進路が決まらないまま終わる生徒もいる。

* * * * * * * * * *

公立高合格発表の新聞記事は、もっぱら合格者を取り上げる。不合格者は、心理的な面を配慮して記事にしないのだろう。新聞紙上では、不合格者は合格者の陰に隠れた存在と言える。

だが、不合格者にとっても、合格発表は人生の大きな一場面なのだ。喜びの声に満ちた新聞記事を読むと、そんなことを考えることがある。

2010年3月14日日曜日

諸国民の富の性質と原因に関する研究

国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究(上)アダム・スミスの『国富論』を読み返している。かねがね読みたかった山岡洋一氏の新訳本を、奮発して買ったのだ。

『国富論』は『諸国民の富』とも言われるが、原題は An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations と言う。訳すと、『諸国民の富の性質と原因に関する研究』といったところだ。つまり、『国富論』や『諸国民の富』は、略した言い方というわけだ。

『国富論』というと、よく「神の見えざる手!」と条件反射のように言う人がいるが、実は『国富論』の中では「神の見えざる手」という言葉はない。出てくるのは「見えざる手」という言葉で、しかも本文中にわずか1回出てくるだけだ。「神の見えざる手」という言葉は、『道徳感情論』(『道徳情操論』とも)という、アダム・スミスの別の本に出てくる。

実はアダム・スミスには倫理学者の一面もあって、先ほどお話した『道徳感情論』も倫理学の本だ。大阪大学の堂目卓生教授によると、最近のスミス研究では、『道徳感情論』を『国富論』の思想的基礎として重視する解釈が主流になりつつあるそうなので(堂目, 2008)、『国富論』を読むなら、できれば『道徳感情論』も併せて読んだほうが良いのだろう。私の大学時代(経済学部)のゼミの指導教官は、「世の中、アダム・スミスの主張を誤解している者が多い。アダム・スミスは倫理学の本も出している」とおっしゃっていたものだ。

山岡洋一氏が訳した『国富論』は実に読みやすく、すらすら読みすすめることができる。だが、最近の私はいろいろなものに手を出して、中途半端に終わっている。『国富論』を読み終えるのも、いつになることやら。

[文献]

◇ 堂目卓生(2008)『アダム・スミス-『道徳感情論』と『国富論』の世界』中公新書。

2010年3月12日金曜日

民放が1局か2局しかない県

地元のテレビ局の事情に詳しい人と話をする機会があった。東京では地上波の民放が5局あるが、この地域にはそれほどたくさんないので、テレビ東京系など、この地方にネット局がない番組は、各局が分け合っているという話だった。

それで思い出したのだが、私が最初にこの地方に引っ越してきた当時は、民放の数が本当に少なかった。それ以前に住んでいた地域は民放が豊富にあっただけに、カルチャーショックを受けた。以前の地域ではとっくの昔に放送が終了していたトレンディードラマが時差遅れで放送されていて、地元の人の間では「最新のドラマ」と認識されていた。クラスメイトの間で流行っていたアニメ番組が引越し先では放送されておらず、存在すら知られていない様子だった。国民的によく知られているテレビ番組も、引越し先では全く放送されていなかった。

当時のテレビ局はNHK総合とNHK教育、そして数少ない民放局しかなく、そのうちNHK教育を視ていた人は少なく、衛星放送やケーブルテレビも普及していなかったから、テレビ局の選択肢はほとんどなかった。中には、特別な機械を買って、隣の県のテレビ電波を受信している人もいたが、少数だったようだ。みながみなほとんど同じテレビ番組を視ていたのだろうか。視聴率50%超えの番組など、ざらだったのではないか。

このような状況に私は最初は戸惑ったが、そのうち慣れてしまった。

地上波の民放が1局や2局しかない県は、今でも存在するようだ。

2010年3月4日木曜日

本を読んでも分からない

情けないことに、本を読んでも、内容がさっぱり理解できないことが少なくない。洋書の話ではない。和書の話だ(洋書もよく理解できないことが多いが)。これでは、時間をかけて本を読んでいる意味がない。

私が理解できない本は、たいてい古典だ。古典といっても、『こわいわるいうさぎのおはなし』のような類のものは読みやすいが、私はふだんそういう本は手に取らない。

私がこれまで読んできた本の中で挙げれば、例えば、ケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』や西田幾多郎の『善の研究』などは、私にとっては難解だった。もっとも、これは多少は仕方が無いことなのかもしれない。『一般理論』はもともと専門家向けに書かれたもので、出版当時は、マサチューセッツ工科大学でも理解できる者が誰もいなかったとサミュエルソンは語っている。『善の研究』は、もともと西田幾多郎が旧制第四高等学校の教師をしていた頃の講義の草案だが、この西田幾多郎の講義は、当時エリート中のエリートだった四高生にさえ難解だったと言われている(なお、私が『善の研究』を読んだのは大学1年の頃)。

この種の有名な古典は、解説書が出ていたり、何かの本で分かりやすく紹介されていたりすることが少なくない。難解な古典を少しでも理解するには、そうしたものに予め目を通したり、解説書を並行して読むなどすれば良いということを、経験的に学んだ。

ただ、それでも理解が難しいことが少なくない。何とかしたい。それとも、あまり背伸びして難しい本を読むのはやめた方がよいのだろうか。

2010年2月27日土曜日

朝の歯磨き、2回する?

朝起きたら歯磨きをするのは一般的な生活習慣と言える。

聞くところによると、睡眠中には唾液の分泌が低下し、このため口の中は雑菌が繁殖してしまいやすいのだとか。これを放置したり、放置したまま朝食をとったりすると、不衛生この上ない。このため朝の歯磨きが必要というのが歯学の教えるところなのだろうが、別にこれを知らずに、なんとなく歯磨きしている人も多かろう。

しかし、起床直後の歯磨きの後、ふつう朝食をとるはずだ。この朝食の後、歯磨きはどうするのが一般的なのだろうか。食事後だからまた歯磨きをするのだろうか。そうすると、忙しい朝に2度も歯磨きをすることになる。それとも、朝食後の歯磨きは省略するのだろうか。朝食後の歯磨きを省略すると、夜まで歯磨きのチャンスがなくなってしまうかもしれない。最近は職場で昼食後の歯磨きをする人も増えてきたそうだが、そうしたことができる人ばかりでもないだろう。

もしかすると、起床直後の歯磨きを省略して、朝食をとってから歯磨きをする人もいるのかもしれない。これだと朝の歯磨きは1度で完璧だ。しかし、雑菌が繁殖した口で朝食をとるというのは不衛生ではないか。

いや、そもそも朝食をとらない人も相当数いるのかもしれない。

考えると、ややこしくて、なんだか分からなくなってきた。

なお私の場合、起床直後に歯磨きをして、朝食後は歯磨きを省略し、うがい程度で済ますことが多い。だいたい、朝はあまり食べないので(食べないというより、食べられない)。昼食後には、再び歯磨きをする。

2010年2月22日月曜日

五輪に関心がない

冬季オリンピックで盛り上がる日本だが、私はオリンピックにほとんど関心がない。周囲には熱を上げてオリンピックを見ている人も何人もいるのだが、私は変わり者なのだろうか。

もちろん、オリンピックを熱心に見ている人をさげすむつもりはない。この大会のために非常な努力を傾けてきた選手たちを冷ややかな目で見ているわけでもない。商業主義的な面があるなどという理由でオリンピックそのものに反対しているわけでもない。

そうではなく、ただ単にオリンピックを見ても楽しくないという、それだけのことだ。試しにダイジェスト番組を見たことも何度かあるが、他の人が感じるような血湧き肉躍る心の昂ぶりを、なぜか私は感じることができなかった。

そもそも、オリンピックに限らず、スポーツ観戦全般にほとんど関心がない。ときどきテレビ観戦することはあるが、どうしても楽しむことができないまま終わってしまう。唯一の例外は、野球、特に高校野球だ。公式戦のシーズン、特に甲子園進出をかけた公式戦が行われるときは、母校の試合が気になって仕方がなくなる。

私はこういう感性の持ち主ということなのだろう。スポーツ観戦好きな人などは、私のような者を「スポーツ観戦の楽しさが分からないなんて、人生損している」などと考えるかもしれない。

* * * * * * * * * *

今の私が関心があるのは、読書だ。家族がオリンピックのTV番組を見ている間、自室にこもって本を読んでいる。テレビのニュース番組を見ている間も、オリンピックのニュースのときだけは本を開いている。読書を怠ると、ただでさえ低い自分の付加価値がなおさら低くなってしまうような気がするのだ。

2010年2月20日土曜日

はぐれ刑事純情派

「はぐれ刑事純情派」が懐かしくなったので、昔録画したビデオを見ようとしたのだが、ビデオを再生する機器がいつの間にか我が家に無くなっていて見ることができなかった。いまや我が家にはDVDプレーヤーしかない。なんたることだ。

昨日もお話したように、私はかつてはぐれ刑事純情派が大好きで、ビデオに録画しては何度も繰り返し見ていた。

はぐれ刑事の長いシリーズの中でも特に私がよく見たものは、主に地元放送局で再放送されていた初期のシリーズで、中期以降のシリーズはほとんど見ていない。録画したものもほとんどが初期のシリーズだ。

初期のシリーズは本当に夢中になって見ていたのだが、残念ながら一番最初の第1シリーズだけは見逃しており、私にとっては幻のシリーズだ。私が最初に見たのはその次の第2シリーズだった。このシリーズでは、あの吉田栄作が出演していた。

人それぞれ好みというものがあろうが、やはり私は初期のシリーズが好きだ。役者の実年齢と登場人物の設定上の年齢の間にギャップがまだ少ないし、登場人物の年齢層も中学~高校生のユカ(小川範子)から比較的高齢の安浦刑事や署長(梅宮辰夫)までバランスがとれている。もっとも、中期~後期のシリーズをろくに見ずに「初期のシリーズが好き」と言うのもおかしな話だが。

記事書いているうちに、また見たくなってきた。しかし、録画したビデオを再生する機器が無く、DVDにダビングしておくべきだったと後悔するばかりだ。初期のシリーズ、再放送してくれないかな……。

2010年2月19日金曜日

藤田まこと

藤田まことが亡くなったという。

ショックだ。これまでタレントが亡くなったニュースには何度も接してきたが、これほどショックを受けたことはない。つい最近までテレビに出ていたと思うのだが……。あの藤田まことにも売れない時期があったという話、訃報ニュースで始めて知った。

藤田まことと言えば、てなもんや三度笠や必殺シリーズが代表作だ。だが、私のような世代の者がてなもんや三度笠なんて見たことがあるはずがないし、必殺シリーズも馴染みが薄い。私にとって藤田まことと言えばむしろ、はぐれ刑事純情派だ。

私は中学~高校の頃、はぐれ刑事をのめり込むように見ていた。藤田まこと演じる安浦刑事が大好きで、安浦刑事の仕草をつい真似てしまうほどだった(「緘黙ストーリー」では触れなかったが)。藤田まことの演技は本当に味があってよかった。それにしても、安浦刑事が好きなどと、今にして思うと、当時の私はとてもおじさん臭い中高生だった。

藤田まことが亡くなり、様々な人がコメントを残している。個人的には、はぐれ刑事で長年娘の役を演じた松岡由美と小川範子のコメントが聞きたい。特に小川範子は私と世代が比較的近く、コメントが気になる。

あと藤田まことと言えば、歌がうまかった。CDも出している。いつかは、NHKの「わが心の大阪メロディー」に出演し、名だたる歌手が居並ぶ中、玄人はだしの、しかも年齢を感じさせない歌声を披露し、大変驚かされたものだ。

まだまだ活躍するものと思っていたのに、ただただ悲しい。

2010年2月17日水曜日

不用レシート入れ、レシートを渡さない店員

いつの頃か、買い物をすると、レジの側に不用レシート入れが置いてあることが多くなった。レシートが不要なお客様はここに入れてくださって結構です、ということだ。

なかなか気が利くことをするものだなと思ったものだ。もっとも、私は帳簿をつけているし、商品に不具合があったときなどのためにも、レシートは必ず持ち帰るようにしてはいるのだが。

ただ、これがさらに進んで、レシートを渡さない店員を見かけることが増えてきた。会計を済ませた後、店員はレジから出てきたレシートを私に渡さないまま、レシート入れに捨てる。私がレシートを受け取るかどうかの意思を確認せずに、だ。

こうしたお店では、レシートを持ち帰らない客が多いのだろうか。

私の場合、レシートが欲しいので、そうした場面に直面したときは、店員がレシート入れに捨てたレシートを拾うということをやっている。みっともないようだが、仕方がない。店員がレシートを渡さないのだから。それに、レシートが欲しい他の客はみな同じことをやっているだろう。

私が持ち帰ったレシートも、帳簿をつける終わるなどしたら、不用になってしまう。これを燃えるごみとして捨てる時、そのままいつもの半透明ゴミ袋に捨てると、プライバシーや個人情報のことが気にならないこともない。だが、そうかと言ってわざわざ切り刻んだり、シュレッダーにかけたりするほどのものでもなかろうと思い、そのまま捨てることがほとんどだ。

※ エントリー数が15に達した。ブログ運営が安定してきたので、「ニートひきこもりJournal」など他の一部の姉妹ブログに、このブログへのリンクを新たに加えた。

2010年2月12日金曜日

「ゲーム」という言葉

「ゲームをする」というときの「ゲーム」は、現在では「コンピュータゲーム」のことを指すことが多いようだ。特に最近だと、ニンテンドーDS や Wii あたりだろうか。最近のゲーム事情は知らないが。

ただ、私が子どもの頃は、「ゲーム」と言えば、コンピュータゲームではなく、トランプなどのカードゲームであるとか、オセロとか、そうしたものを意味していたと思う。少なくとも、私の周りではそうだった。

その後、ファミコンを初めとしたコンピュータゲームが広まり、「ゲーム」がコンピュータゲームの代名詞となったのだろう。

コンピュータゲームにしても従来型のゲームにしても、任天堂が大きく関わっていることは変わりない。

* * * * * * * * * *

上と少し似た話。英語圏では mail というと、最近では電子メールのことを意味することが多いそうだ。

昔は、mail と言えば紙の手紙や小包などの郵便物のことだった。

それが、電子メールの普及により、mail がむしろ電子メールを指すようになった。

そして、従来型の郵便物は、電子メールと区別するために、snail mail と呼ばれているそうだ。snail とはカタツムリのことだ。従来型の郵便物は、電子メールに比べると届く速度がゆっくりということで、カタツムリに例えられたわけだ。


従来型のゲーム(カードゲーム、オセロなど)は、今でも「ゲーム」と呼ばれているのだろうか。smail mail のような気の利いた区別のつく呼び方はないのだろうか。テーブルゲーム?いや、でも一般的ではないような……。

2010年1月30日土曜日

Twitter 用アイコンの、ボツ作

PhotobucketTwitter 用のアイコンを作った。左の青い背景に「富」の字が入った画像だ。しばらく試しに使ってみて、大きな問題がなければ、今後これでいこうかと思っている。

Twitter では私は「nesamimus」というユーザー名で通している。しかし、これでは私が富重であることが分かりにくいので、「富」の字のアイコンにしたのだ。

ユーザー名を「tomishige」等に変える手もないことはない。しかし、私の「富重」の名は本名ではないので、ユーザー名にするのは恐縮だ。将来「富重」が本名の方が Twitter を利用しようとしたときに困ってしまうと思うからだ。だが、「nesamimus」をユーザー名にしようと考える者は私ぐらいだろう。

Twitter ではアイコンのサイズが64×64で表示されるそうだが、それを意識して私は128×128で作成した。予め大きめのサイズで作成して、それを凝縮して表示すると、画像が綺麗に見える。

実は、上のアイコンを作成するまでには、ボツ作が5作あった。ボツ作とはいえ、せっかく作ったものをこのまま削除するのも惜しいので、ここで公開しておく。

Photobucket

↑ 最初に作った作品。背景がごちゃごちゃして汚らしく見えるので、ボツにした。この背景は、もともとはタイムトンネルを意識したものだ。

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↑ 2作目。実際に Twitter で使ってみると、なんだか暗い感じの画像に思えたので、ボツにした。

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↑ 3作目。実際に Twitter で使ってみると、まるで女性のアイコンのように見えたので(赤っぽい色なので)、ボツにした。

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↑ 4作目。いいかなと思ったのだが、色が明るすぎて、PCディスプレイの環境等によってはまぶしく感じる方もいらっしゃるかもしれないと思い、ボツにした。

Photobucket

↑ 5作目。今度は暗すぎると思い、ボツにした。

2010年1月28日木曜日

最近傘をよく買い替える

北陸~山陰など日本海等の地域には、「弁当忘れても傘忘れるな」という格言があるそうだ。土地柄よく雨や雪が降るため、外出の際には傘が欠かせないということだ。私が住む地域も、その例外ではない。

特にこの季節、私の地元では雨や雪の日がとにかく多く、私はよく傘を持ち歩く。

この傘だが、最近私は何度も買い替えている。おかげで傘代がかさんで仕方がない(no pun intended)。

傘を頻繁に買い替える一番の理由は、傘をさしている間に傘が壊れることが多いからだ。たいていは、強風に煽られて壊れる。これについて私の親は、「風が強いのに、傘なんてさすから壊れるんだ」と言う。しかし実際は、雨や雪が降る日に限って風が強い日が多いように感じる。こうしたことを考えると、「風が強いのに、傘なんてさすから壊れるんだ」なんて言われると、ではいったい傘はいつさせばいいのかとも思えてもくる。

ただ、私は最近、傘を買う時はたいてい安物を選んでいる。これだと、傘がやたらと壊れるのも仕方がないのかもしれない。

しかし、だからと言って、高価な傘はなかなか買えない。かつては私も、もう少しそれなりの値段の傘を持ち歩いていたが、傘を無くしたり、誰かに間違って?持って行かれたりしたり、そうした苦い経験を度々重ねてきた。高価な傘を無くした時の損失は大きい。

いずれにせよ、降水量の多いこの地域では、傘との付き合いは宿命のようなもので、今後も避けて通ることはできない。

2010年1月19日火曜日

センター試験の問題を少し眺めていた

昨日、一昨日と、新聞に載っていたセンター試験の問題を少し眺めていた。

国語は、第1問・現代文が、岩井克人東京大学教授の評論「資本主義と『人間』」からで、問題文中の最初の方に経済学とか『国富論』とかアダム・スミスといった話が出てきた。私は大学時代の専攻が経済学だったので、興味深く読みすすめた。すると、商品とか労働価値説とかいう言葉が出てくる。これはもしかしてマルクス経済学?いろいろ調べたところ、問題文中に出てきた商業資本とか産業資本とか、私にとって見慣れないこうした言葉は、どうもマルクス経済学の専門用語らしい。そもそも、「マルクス」という人名が、問題文中に何度も出てくるではないか。なお、私が学生の頃はマルクス経済学は既に学界の主流ではなくなっていて(それでも根強い支持があったが)、そのため私はマル経はあまり勉強しなかった。今でもマル経のことはよく分からない。

それにしても、このような専門的な文章を、予備知識もなく読まなければならない大学受験生は大変だ。自分も、よく大学受験なんてやったものだ。

それから昨日は、英語の問題を解いてみた(リスニング除く)。問題形式は、私が受験生の頃とは大きく変わっていないようだった。問題を解いて自己採点したところ相当な高得点で、自分でも驚いた。私が受験生の頃には、逆立ちしても取れなかった点数だ。別に最近センター試験のために特別の勉強をしたとか、受験英語の勉強をしたとか、そうしたことはないのに。私は大学合格後、今日にいたるまで継続的に英語を勉強し続けてきたので、その結果なのだろう。

2010年1月16日土曜日

エプロンをせずに、料理していた

今回のエントリーが、10投稿目になる。まだまだではあるがブログの運営が安定し始めてきたので、これを機に、姉妹ブログ「場面緘黙症Journal - ブログ」等にも、このブログへのリンクを加えることにした(誰も気づかないかもしれないが……)。今後エントリーの数がさらに増えれば、他の姉妹ブログにも、ここへのリンクを加えるつもりだ。

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今日、料理を作る時などに使うエプロンを買った。

それまで私は、エプロンをせずに料理や台所仕事をしていた。では割烹着を着ていたのかというと、もちろん、そういうこともない。そうした類のものを一切つけずに、台所に立っていたのだ。しかし、これで不便を感じたことはなかった。だいたい、エプロン(や割烹着)の存在そのものを忘れていた。どうかしている。

エプロンをしないという方、意外にいらっしゃるらしい。とある主婦の方にエプロンを着て料理をするかどうか尋ねたところ、「結構しないことが多い」とおっしゃっていた。インターネットを検索しても、エプロンをしないという方がたくさん見つかった。

しかし、とある事情で、どうしてもエプロンが必要になった。このため、エプロンを買いに行くことになった。最初は、そもそもどこでエプロンが手に入るかが分からなかった。インターネットで調べたところ、ダイソーで売っているという情報を見つけたので、ダイソーに行った。私が見たところでは、315円や420円のエプロンが売られていた(ダイソーは、105円以外の商品も扱っている)。私が必要なエプロンは安物でもかまわなかったので、結局ダイソーで買ったのだった。

2010年1月11日月曜日

続・Twitter 始めた

昨日、twitter で「twitter はまだ試しに始めたような段階です。今後どういう使い方をするか等、深いことは何も考えていません」と書いたが、私のツイート(つぶやき、投稿)をご覧になってくださる方には、もしかしたら失礼な書き方だったかもしれない。

とはいえ、twitter をどう使うかは、まだ模索の段階だ。使い続けていくうちに、何か見えてくるのではと思う。

前回の記事「Twitter 始めた」ではお金儲けの話ばかりしてしまったが、あまりそうしたことは意識せずに、純粋に楽しもうと思っている。

昨日、一昨日と twitter で安易に緘黙の話題をしたが、よかったのだろうか。以前とある緘黙関係者で、かなり影響力のある方が、自分はもう公人になっていて、グループに入ると戸惑われてしまうという趣旨の発言をされていた。私はそこまで影響力のある人物ではないのかもしれないが、ちょっと考えてしまう。

姉妹ブログ「ニートひきこもりJournal」等でも取り上げている、ひきこもりやニートの話題を twitter でしてみようかとも思ったが、話題が話題だけに荒れてしまいそうな気もする。少なくとも使い方に慣れるまで、この話題は封印するかもしれない。

「nesamimus」というユーザー名も、今後の使い方によっては変えるかもしれない。これでは、私が富重だとは気づいてもらえないだろうからだ。

こういうことは twitter に投稿するべきだったかもしれない。でも、あそこには140字の字数制限があるので、やはりこっちに書く。

2010年1月9日土曜日

Twitter 始めた

昨夜、Twitter を始めた。試験的に、このブログに Twitter での私のつぶやきを表示させてみた(左サイドバー)。

Twitter は、つぶやきの投稿を通じて人とつながり合うのが特徴と私は理解していた。人とつながらずに独りでいることを好む私にとって、Twitter は自分には合うまいと思い、敬遠していた。また、ブログと異なり、広告を掲載して収入を得るなど、お金につながる活動にはつながりにくいのではないかと思っていたのだ。

それが一転して始めることにしてみたのは、食わず嫌いもどうかとも思ったからだった。また、アメリカの経済新聞 Wall Street Journal が、Twitter を活用していることを知ったことも大きかった。Twitter は使いようによってはビジネスにつながるのかも、とようやく気づいたのだった(お金のことばかり考えて、面目ない……)。

今後 Twitter をどこまで続けるか、Twitter の表示を私が運営する他のサイトにまで広げるかどうか等は、まだ考えていない。

ユーザー名は「nesamimus」だが、これは「sumimasen(すみません)」を逆にしたものだ。「すみません」は私の口癖だ。私は家ではしょっちゅう親に叱られていて、「すみません」「すみません」と謝ってばかりなのだ。親に敬語を使うのは変と思う方もいらっしゃるかもしれないが。ちなみに、「nesamimus」は、姉妹ブログ「ひきこもり英語ブログ」のアドレスにも使っている。http://nesamimus.blogspot.com/

同種のコミュニケーションサイトとして、mixi と facebook にも登録しているが、十分に活用しているとは言えない(特に、Facebook)。やはりコミュニケーションというのが、私の性にはあまり合わないようだ。

2010年1月6日水曜日

年末年始はどう過ごしたか

昨年の年末は諸事情により忙しかった。

しかし、大晦日や年始は自由な時間がかなりとれた。こうした自由時間は、主に自宅で本を読んで過ごした。おかげで、なかなか読みすすめられなかった洋書を1冊読了することができた。

姉妹サイト(ブログ含む)の更新もしたが、いつもより更新ペースは落とした。サイトの種類にもよるが、年末年始は例年アクセス数が大幅に減少するため、どうせ更新しても、見てくれる人は少ないだろうと思ったからだ。この時期に更新した記事の多くは、前々から書きだめしていたものだ。元日には場面緘黙症Journal をいくつか更新したが、更新して数時間後、イギリスの緘黙支援団体代表のアリス・スルーキン先生が大英帝国勲章を受章されるというニュースが飛び込んできたため、さらに更新した。一日にたくさん更新すると、わけがわからなくなってくる。

テレビはほとんど見ることがなかった。紅白歌合戦が少し気になったが、あれだけの長時間テレビを見る余裕は今の自分にはないだろうと思い、この時間は読書にあてた。そもそも私にはチャンネル権がないため、紅白では、私の見たい歌手(特に演歌歌手)になるとチャンネルを替えられてしまうことが多く、見る気が失せる。若者からお年寄りまで家族一緒に見ることができる番組作りというのが紅白のねらいだろうと思うのだが、我が家のような非民主的な家庭だと、年長のチャンネル権保持者が自分の思うがままにチャンネルを替えてしまい、私のような若者は見られなくなってしまう。

外出は控えた。初詣にも行かなかった。特に、人手が多いところに出たら、新型インフルエンザに感染する原因になるだろうと思ったからだ。いつも通所している若者自立支援施設も、この時期は休業だった。