2010年7月30日金曜日

「普通のブログ」に代る名前を考える

「普通のブログ」というこのブログのタイトルは、自分の日常を記録した普通のブログという意味を込めてつけたものだ。これまで私が運営してきたブログは、自分の日常はあまり書かない、変わったブログが多かったからだ。

ただ、この「普通のブログ」という投げやりなタイトル、あんまりなのでいずれ変えたいと思っていた。しかし、いいタイトルはなかなか思いつかない。

[思いついたアイディア(しかし没にしたアイディア)]

OB Journal
⇒ 「普通のブログ」は英語で Ordinary Blog だから、それに、姉妹サイト「ニートひきこもりJournal」「場面緘黙症Journal」と同様、Journal をつけて OB Journal にしてはどうかと思った。これだと、初代タイトル「普通のブログ」も生きてくる。しかし、なんだかぱっとしないタイトルだ。それに、これでは何かの同窓会ブログではないかと勘違いされてしまいそうだ。

Journal Intime
⇒ Journal に関係する英語表現を『リーダーズ英和辞典』で調べたところ、 「(私的な)日記」という意味の、Journal intime というものを見つけた。悪くなさそうに思えたが、日本語圏のブログで既にこのタイトルを採用している人が非常に多かったため、オリジナリティの問題でやめた(「普通のブログ」を使っている人も多いのだが)。

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今月の『日本経済新聞』に連載されている「私の履歴書」は、ノーベル化学賞を受賞した下村脩氏が執筆している。連載は明日で最終回を迎える。

自然科学者という、私には馴染みの薄い世界に生きる方の自伝だったが、とても面白かった。ここのところ、朝、日経を手にとったら、まず最初に「私の履歴書」に目を通していたほどだ。こうしたことは、滅多にない。

私がこれほど面白く感じた理由は分からないが、下村氏の研究テーマが、クラゲ等発光生物という、私にも分かりやすいものだったからかもしれない。

[追記]

「私の履歴書」の中で言及があった『生物発光』という下村氏の著書は、この洋書 Bioluminescence: Chemical Principles And Methods です。

2010年7月19日月曜日

へき地等級

この法律において「へき地学校」とは、交通条件及び自然的、経済的、文化的諸条件に恵まれない山間地、離島その他の地域に所在する公立の小学校及び中学校並びに中等教育学校の前期課程並びに学校給食法(昭和二十九年法律第百六十号)第六条に規定する施設(以下「共同調理場」という。)をいう。

(へき地教育振興法より)


「へき地等級」という言葉を知った。「へき地教育振興法施行規則」による、その公立小中学校が置かれている場所のへき地度を言うそうだ。例えば、「○○小学校は、へき地等級2級」「へき地1級」という言い方をするらしい。5級や4級といった、等級の数字が高いほど、都会から遠く離れている。

私の身近にも、いわゆるへき地がある。だが、へき地等級という言葉を私が聞いたことがないのは、その地区には公立の小中学校すらないからだろう(もう何十年も前に廃校になった。今では子供は全くおらず、お年寄りばかり)。

その地区は、へき地教育振興法施行規則が言うところの「駅又は停留所」「旧総合病院」「病院」「診療所」「高等学校」「郵便局」「市町村教育委員会」「金融機関」「スーパーマーケット」「市の中心地」「県庁所在地又はこれに準ずる都市の中心地」いずれもない。もちろん、コンビニもない。あるのは、時代を感じさせる家と田畑ばかり。この地区から、例えばスーパーに買い物に歩いて出かけようものなら、数時間もかかってしまうのではないか。このため、住民はみな自動車に載って、街まで往復する毎日だ(私の経験では、のどかな地域ほど車を乗り回している人が多い。公共交通機関が発達していないからだ)。このように不便な場所のため、過疎化が進行している。

ただ、自然が数多く残っており、緑豊かな場所であるとは言える。

都会の人にはピンとこないかもしれないが、日本にはこういう場所が案外たくさんある。

2010年7月12日月曜日

若者の投票率の低さについて

私が20歳になったとき、地元自治体か国からか、漫画が送られてきた。これからは選挙に行きましょう、政治に関わっていきましょうという内容の漫画だった。私にも選挙権が与えられたことを知らせる意図があったのかもしれないが、この漫画は少しやりすぎではないかと思った。だが、若者の投票率が低かったことを考えると無理もなかったのかもしれない。

私の実感では、政治に関心を持たない若者はほとんどいない。そうした若者には、ほとんどお目にかかったことがない。政治のことに話が及ぶと、ほとんどみな新聞やニュースをよくチェックしていて、政治について自分なりの考えを持った人が多いことがうかがえる。だが、実際に投票率が低いとなると、これは私が出会う若者層がかなり偏っているのか、それとも政治に関心は持ってはいるものの投票には行かない若者が多いということなのか、どちらかなのだろう。

ときどき、若者はもっと日常会話の中で政治の話をしろという人がいる。ただ、政治の話というのはやや避けた方がよい話題で、TPOを考えてするべきではないかと思う。少なくとも無難な話題とは言いがたい。政治のことになると良好な関係に深刻な亀裂が入ることがある。

[私が教わった、避けた方がよい3大話題]

1 政治
2 宗教
3 お金(お金ではなく、セックスを挙げる人もあり)

私は大学で経済学を学んだせいか、投票に行かないことが合理的に思えることがある。わざわざ時間を作って投票に行っても、自分の1票で世の中は全くといっていいほど変わらないからだ。だいたい、たった1人の有権者の投票行動で世の中の動きに変化が出る社会があったら、そちらの方がおかしい。だが、個人にとって棄権が合理的であっても、若者全体が同じような行動をとり、若者の投票率が低いという結果になると、これは話が違ってくる。若者の投票率が低いからという理由で、政治家は若者にあまり配慮しなくなるかもしれないのだ。「合成の誤謬」という言葉があるが、個人のレベルでは合理的であっても、その個人の行動を集計すると、話が変わってくる。

2010年7月9日金曜日

故郷がない人

世の中には、はっきりとした故郷のない人や、自分の故郷がいったいどこなのか分からない人が存在する。

まず、「自分は東京生まれの東京育ち。だから故郷がない」という人がいる。東京一極集中が進む中、若い世代にこうした人は多そうだ。東京に限らず、例えば大阪生まれの大阪育ちで就職先も大阪という人もそうだろう。なお、私が現在住む土地は東京でも大阪でもないが、私の周辺にはこうした人が多い。生まれてから現在に至るまで、ずっと地方に残っている人たちだ。

また、子どもの頃に引越しを繰り返した人もいる。典型的なのは、親が転勤族のため、子どもの頃に全国各地を短期間に転々とした人だ。こうした人の場合、その人の故郷はいったいどこになるのか、はっきりしない。

いずれの場合も、故郷のあるなしは、生まれ育った場所や親の仕事など、本人の自由意思とは無関係に決まってくる。

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私の場合、親が転勤族だったわけではないが、子どもの頃にやはり何度か引越しをしている。このため、自分の故郷がどこなのか、はっきりしない。候補となる土地がいくつかあるが、そのうちどれか一つに絞れと言われると困る。せめて、子ども時代にその土地で過ごした期間に大きな差があれば、「ここが自分の故郷、他は第二の故郷」と分けて考えることができるのだが。ついでに言うと、同様の理由で自分の出身地がどこかも分からない。

これは、自分のアイデンティティにも影響を与えているように思う。また、五木ひろしのヒット曲「ふるさと」の一部の歌詞に共感できない(いや、これは大した問題じゃないか……)。

ただ、明確な故郷がある人をうらやましいと感じることは、私について言えばない。

2010年7月5日月曜日

大竹文雄『競争と公平感』

競争と公平感―市場経済の本当のメリット (中公新書)今話題のこの本、ようやく読んだ。書評、というより感想を書く。

この本は、競争と公平感、そして労働をテーマに、経済学の観点による小論をまとめたものだ。

多くの人の間で関心が高そうな身近な話題がいくつも盛り込まれている。それに経済学といってもやさしく書かれているため、経済学部の学生や、経済学を知らない一般の人にも広くおすすめできる。分量も特に多いというほどのものではなく、手軽に読める本だ。私としては、特に市場経済のデメリットを学校で強調されて学んできたと思われる一般の人に読んでほしい(だから、他の人がさんざんこの本を紹介しているのに、わざわざ私がこのブログで取り上げた)。また、最新の研究動向を踏まえた内容なので、私のような中途半端な知識しか持たないヘナチョコ経済学士には十分勉強になる。だいたい、せっかく経済学部で経済学的思考を学んでも、卒業後経済学の書物を継続して読まないと、経済学的思考がなまってしまってよくない。

格差や非正規、最低賃金等の問題も、本書のような経済理論や実証分析に基づく政策論議を期待する。私が大学で経済学を学んでいた頃、ある先生が「みなさんは経済学を勉強して、どの政党が言っていることが正しいのか判断できるようになってください」とおっしゃっていた。どうしてこのようなことを言う先生がいらしたかというと、経済学的に考えるとナンセンスな主張を政党が展開することがあるからだ。

著者の大竹文雄氏は、大阪大学教授。専門は労働経済学。

[文献]

◇ 大竹文雄(2010)『競争と公平感-市場経済の本当のメリット-』中公新書。