情けないことに、本を読んでも、内容がさっぱり理解できないことが少なくない。洋書の話ではない。和書の話だ(洋書もよく理解できないことが多いが)。これでは、時間をかけて本を読んでいる意味がない。
私が理解できない本は、たいてい古典だ。古典といっても、『こわいわるいうさぎのおはなし』のような類のものは読みやすいが、私はふだんそういう本は手に取らない。
私がこれまで読んできた本の中で挙げれば、例えば、ケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』や西田幾多郎の『善の研究』などは、私にとっては難解だった。もっとも、これは多少は仕方が無いことなのかもしれない。『一般理論』はもともと専門家向けに書かれたもので、出版当時は、マサチューセッツ工科大学でも理解できる者が誰もいなかったとサミュエルソンは語っている。『善の研究』は、もともと西田幾多郎が旧制第四高等学校の教師をしていた頃の講義の草案だが、この西田幾多郎の講義は、当時エリート中のエリートだった四高生にさえ難解だったと言われている(なお、私が『善の研究』を読んだのは大学1年の頃)。
この種の有名な古典は、解説書が出ていたり、何かの本で分かりやすく紹介されていたりすることが少なくない。難解な古典を少しでも理解するには、そうしたものに予め目を通したり、解説書を並行して読むなどすれば良いということを、経験的に学んだ。
ただ、それでも理解が難しいことが少なくない。何とかしたい。それとも、あまり背伸びして難しい本を読むのはやめた方がよいのだろうか。